平安時代の裏の支配者は、藤原氏です。
藤原氏の先祖は、朝鮮半島からやってきた、といわれています。
ということは、平安時代の日本は、朝鮮半島の人間に支配されていたことになります。
そんな、ややっこしい平安時代の藤原氏の先祖について、語っていきます。
この記事は動画でも公開中です https://youtu.be/9P80jhlLz_I
藤原氏が渡来人である証拠を抹殺した
藤原氏の祖である中臣鎌足は、古代朝鮮半島の百済の王子、扶余豐璋であるという説があります。
飛鳥時代、扶余豐璋は、人質として日本で暮らしていました。
だから藤原氏の先祖は、朝鮮半島からやってきた、ということになるのです。といっても文書などによる確たる証拠はありません。
当時の時代状況から判断して、中臣鎌足は扶余豐璋、あるいは百済の王族が高官と考えられているのです。
たとえ文書による証拠があったとしても、後世に残るわけがありません。
それは、ときの権力者が渡来人である証拠のほとんどを抹消したからです。日本で権勢をふるうには、よそ者では不利です。
必ず「よそ者のくせに!」という反発が起こるからです。
だから、その権力が意図的に文書による渡来人である証拠を抹殺してしまったのです。
その文書を抹消した権力者とは誰でしょうか?藤原氏の可能性が濃いです。
飛鳥時代の前の時代、古墳時代の文書による歴史の記録が存在しないのも、意図的に記録を消滅させた、と考えられます。
日本の古墳時代には、すでに文字がありました。文字があるのに文書での歴史的証拠がない、というのは、どう考えてもおかしいです。
古墳時代は戦乱が非常に多かったため、当時の書物の多くが焼かれ、歴史資料がほとんど残っていないと、あるテレビ番組で解説されていました。
しかし、鎌倉時代や室町時代も、戦争が多かったのに、かなり歴史資料が残っているではないですか!
古墳が発掘されると、古代朝鮮半島と共通する武器や装飾品が出土されることが多いです。文書だけが出土されないなんて不自然です。
だから古墳時代の歴史的文書の消失は、権力者の意図的なものと考えざるおえません。
古代の日本を制した百済
古墳時代の日本は、ある意味、日本国というよりは、朝鮮半島の高句麗、百済、新羅などの分国に近い感じだったのかもしれません。
北アメリカ大陸が当初、フランスやスウェーデン、ネーデルランド、イギリスなどの分国状態だったのと似ています。
北アメリカ大陸の場合は、イギリスが他国を制して、北アメリカ全土の大半を支配するようになりました。日本の場合はどうだったのでしょうか。
百済が日本を支配したとは言えないまでも、高句麗や新羅を制して、大きな影響力をもっていました。
なぜならば、飛鳥、奈良時代の日本は、建築や土木、仏像など百済人の最先端技術で成されたものが多いからです。
とくに白村江の戦いは、百済が日本の支配層にまで大きく影響していたことを物語っています。
日本が百済再興のために、多大な犠牲を顧みず唐新羅連合軍と戦うということは、百済が単なる同盟国ではなかったという証拠です。
日本の支配階級に百済人がいて、朝廷も百済人の意見を無視できなかったということになります。
もちろん、百済救援に反対する勢力もいました。蘇我氏です。蘇我氏は新羅派でした。
蘇我氏の古墳からいくつもの新羅と共通する出土品が発見されていることからも、蘇我氏が新羅と関係が深かったことが指摘されています。
乙巳の変で、蘇我入鹿が中臣鎌足と中大兄皇子によって暗殺されたのは、新羅派の蘇我氏と百済派の中臣氏の争いの結果ともいわれています。
だから古代朝鮮の分国に近かった当時の日本は、やはり百済が覇権を握ったと考えることができます。
これらの状況から、中臣鎌足が扶余豐璋だったのかどうかという確かな証拠はありませんが、百済人であった可能性は、かなり高くなります。
もちろん、百済人であった場合、百済人であることは隠すはずです。日本の支配階級に紛れ込むには、ヨソ者である百済人では不利だからです。
現代まで続く藤原氏の影響力
後に中臣鎌足は、藤原氏の姓を天智天皇から授けられます。
そして、鎌足の息子である藤原不比等は、天皇の外戚になろうと暗躍します。
藤原不比等は、娘の宮子を文武天皇の妃として嫁がせました。宮子の生んだ男の子が、後の聖武天皇である首(おびと)皇子です。
藤原不比等は、天皇の外戚となって実権をほぼ握りました。
そののち400年ちかく平安時代の後期まで、藤原氏は天皇の外戚として栄えました。
平安時代だけでなく、明治から昭和の時代にかけて、藤原氏の子孫が権力を握りました。
明治時代は、西園寺公望が総理大臣に就任。昭和の時代は近衛文麿、細川護煕が総理大臣に就任しました。
いずれも藤原氏を先祖にもつ総理大臣です。
現代でも藤原氏の子孫は、政官財の中枢で強い影響力をもっています。
そうみていくと、百済という国は、とてもしぶとい国であると思ってしまいますね。