みずおのアレコレ話

健康と歴史の本の読書が好きです。仕事の合い間に小説も執筆中です。完成が楽しみです!

平安時代、藤原氏は、なぜコケたのか?

この世に永遠の権力など存在しません。平安時代の藤原氏も同じでした。

平安時代の後期には、実権が天皇家へ移り、藤原氏はコケてしまいました。やがて天皇家の実権は、天皇家の内紛が原因で、武士に奪われます。

武士の政権も、平氏から源氏へと移り変わり、やがて鎌倉時代がはじまりました。

なぜ、平安時代の末期は、政権がコロコロと移り変わったのでしょうか?それは社会構造の欠陥により、民衆の不満が爆発したからです。

「貴族だけが贅沢に暮らしやがって!」という感じです。

たまりに貯まった民衆の不満が津波のように広がり、社会構造のガラクタ部分を押し流した時代だったのです。

過酷な税で苦しんでいた民衆

平安時代、民衆は重い税金に苦しんでいました。

農民が稲の年貢を国司に納める場合、国元のため大きな負担にはなりませんでした。

しかし労役は国司のもとで、タダ働きしなければなりません。その間の食事や生活費は自腹です。

さらに過酷なのが特産物です。特産物を納めるために、京の都まで運ばなければなりません。旅費はすべて自腹です。帰りの道中で食糧が尽き、餓死する農民もいたそうです。

その反面、「京の都」の藤原氏などの貴族は、農民から集めた年貢で贅沢三昧の暮らしをしていました。庶民の口には入らないチーズや蜂蜜や高価な菓子などを食べていました。

夏には、なんと氷で酒を割り、オンザロックで飲んでいたそうです。

もちろん、冷蔵庫などありません。冬にとれた氷を氷室で保存して、夏になると飲料を冷やすために使っていたのです。

お遊びも盛んでした。

民衆が過酷な労働やで苦しんでいる中、貴族は汗もかかず、和歌や百人一首、蹴鞠を楽しんでいたのです。

こんな世の中が長く続くはずがありません。少しずつ平安時代の権力構造は、くずれはじめていきました。

当時、国の大半の富を独占していた藤原氏からくずれ始めたのです。

 

藤原氏は、男の子が生まれずコケた

 

えばり腐っていた藤原氏も、平安時代の後期には、力を失っていきました。

なぜ藤原氏は、コケてしまったのでしょうか?天皇家が「上皇」という存在をつくったからです。藤原氏は、天皇の代行をする「関白」という役職をつくって、権力を握りました。

ところが、ある時期、朝廷は「上皇」という天皇より上の存在をつくって、藤原氏の「関白」から権力を奪ったのです。

もちろん、藤原氏は自分たちの権力を守るために抵抗しましたが、あるミスを犯して「上皇」という存在を許してしまいます。

 

その「ミス」とは何でしょうか?

 

藤原氏の血筋を受け継いだ天皇を出せなかったことです。

 

藤原氏の「権力の源泉」は、藤原氏の娘を天皇に嫁がせて、常に藤原氏に血縁のある男の子を天皇即位させることによって、生まれたものです。

つまり、藤原氏の「お母さん」や「お爺いさん」の言うことを聞くように、皇子を幼い頃から洗脳していたのです。

その「お母さん」と「お爺いさん」が両親共に天皇家になってしまうと、どうなるでしょうか?

それまで藤原氏に好き勝手に朝廷を牛耳られていた天皇家は、当然、将来の天皇である皇子に対して、藤原氏の悪口ばかり言います。

その皇子が成長して天皇になると、藤原氏で占められた関白を「このバカ」という感じで無視して、天皇による親政を行います。

天皇引退後は、上皇となり院政をしき、実権をにぎり続けることもありました。

こうなると藤原氏は、完全に権力の座から、ころげ落ちてしまいます。

もともと、日本の年貢の大半を独占していた藤原氏を恨んでいた民衆が多かったため、「藤原氏を潰すチャンス」とみた勢力は、藤原氏を潰すために、勢いを増しました。

 

やがて上皇と天皇が争う時代がやってきて、平家や源氏などの武士が台頭してきました。

そして平安時代が終わると、武士が実権を握る鎌倉時代がやってきたのです。

 

今回の衆議院選挙も、国民の洗脳が溶けかけた結果?

 

現在の新聞やテレビは、国民に対して、正しい報道ができない状態になっています。権力者からの圧力が非常に強いからです。

日本の政治を動かす政官財の力は巨大です。権力に批判的なことを報道したら、とんでもない目に合います。

これ、似ていませんか?

平安時代、藤原氏が幼い皇子を洗脳する行為に?

過去、国民は、新聞やテレビなどでしか政治の善悪を判断するしかありませんでした。平安時代の「洗脳された皇子」と同じ状態だったのです。

しかし現代は、「高度情報通信」の時代です。

新聞社やテレビが報じない真実も、SNSなどインターネットを通じて知ることができます。

国民は、まるで藤原氏からの「洗脳から逃れた皇子」のような状態になりつつあるのです。

つまり、権力者の洗脳から「国民」が逃れつつあるのです。

平安時代は、天皇が「真の権力者」でしたが、令和の時代の真の権力者は誰でしょうか?

天皇でも政治家でも役人などでもありません。

そうです。国民なのです。

日本は民主主義の国です。国民が主権者なのです。

だから今回の選挙結果は、ネットやSNSなどによって、洗脳から解放された国民の逆襲がはじまったとみるべきかもしれません。

平安時代は、貴族の政権が終わり、武士の政権に移り変わりました。

令和の時代は、一部の人間が得する政権が終わり、真の「民主主義」の時代が始まろうとしているのかもしれませんね。

 

ひとこと

 

「歴史はくり返す」といわれますが、平安時代と今の時代は、よく似ています。


現代の硬直化した権力構造は、なかなか強固のようにみえますが、必ず改善される日がやってくることは間違いないです。


永遠の権力など存在しないからです。


今回の衆議院選挙の結果を見て、その日は、着実に近づいていると思いましたね

(●^U^●)

 

藤原氏の先祖は、古代の朝鮮人だった

平安時代の裏の支配者は、藤原氏です。

藤原氏の先祖は、朝鮮半島からやってきた、といわれています。

ということは、平安時代の日本は、朝鮮半島の人間に支配されていたことになります。

そんな、ややっこしい平安時代の藤原氏の先祖について、語っていきます。

この記事は動画でも公開中です https://youtu.be/9P80jhlLz_I

藤原氏が渡来人である証拠を抹殺した

藤原氏の祖である中臣鎌足は、古代朝鮮半島の百済の王子、扶余豐璋であるという説があります。

飛鳥時代、扶余豐璋は、人質として日本で暮らしていました。

だから藤原氏の先祖は、朝鮮半島からやってきた、ということになるのです。といっても文書などによる確たる証拠はありません。

当時の時代状況から判断して、中臣鎌足は扶余豐璋、あるいは百済の王族が高官と考えられているのです。

たとえ文書による証拠があったとしても、後世に残るわけがありません。

それは、ときの権力者が渡来人である証拠のほとんどを抹消したからです。日本で権勢をふるうには、よそ者では不利です。

必ず「よそ者のくせに!」という反発が起こるからです。

だから、その権力が意図的に文書による渡来人である証拠を抹殺してしまったのです。

その文書を抹消した権力者とは誰でしょうか?藤原氏の可能性が濃いです。

飛鳥時代の前の時代、古墳時代の文書による歴史の記録が存在しないのも、意図的に記録を消滅させた、と考えられます。

日本の古墳時代には、すでに文字がありました。文字があるのに文書での歴史的証拠がない、というのは、どう考えてもおかしいです。

古墳時代は戦乱が非常に多かったため、当時の書物の多くが焼かれ、歴史資料がほとんど残っていないと、あるテレビ番組で解説されていました。

 しかし、鎌倉時代や室町時代も、戦争が多かったのに、かなり歴史資料が残っているではないですか!

古墳が発掘されると、古代朝鮮半島と共通する武器や装飾品が出土されることが多いです。文書だけが出土されないなんて不自然です。

 だから古墳時代の歴史的文書の消失は、権力者の意図的なものと考えざるおえません。

古代の日本を制した百済

古墳時代の日本は、ある意味、日本国というよりは、朝鮮半島の高句麗、百済、新羅などの分国に近い感じだったのかもしれません。

北アメリカ大陸が当初、フランスやスウェーデン、ネーデルランド、イギリスなどの分国状態だったのと似ています。

北アメリカ大陸の場合は、イギリスが他国を制して、北アメリカ全土の大半を支配するようになりました。日本の場合はどうだったのでしょうか。

百済が日本を支配したとは言えないまでも、高句麗や新羅を制して、大きな影響力をもっていました。

なぜならば、飛鳥、奈良時代の日本は、建築や土木、仏像など百済人の最先端技術で成されたものが多いからです。

とくに白村江の戦いは、百済が日本の支配層にまで大きく影響していたことを物語っています。

日本が百済再興のために、多大な犠牲を顧みず唐新羅連合軍と戦うということは、百済が単なる同盟国ではなかったという証拠です。

日本の支配階級に百済人がいて、朝廷も百済人の意見を無視できなかったということになります。

もちろん、百済救援に反対する勢力もいました。蘇我氏です。蘇我氏は新羅派でした。

蘇我氏の古墳からいくつもの新羅と共通する出土品が発見されていることからも、蘇我氏が新羅と関係が深かったことが指摘されています。

乙巳の変で、蘇我入鹿が中臣鎌足と中大兄皇子によって暗殺されたのは、新羅派の蘇我氏と百済派の中臣氏の争いの結果ともいわれています。

だから古代朝鮮の分国に近かった当時の日本は、やはり百済が覇権を握ったと考えることができます。

これらの状況から、中臣鎌足が扶余豐璋だったのかどうかという確かな証拠はありませんが、百済人であった可能性は、かなり高くなります。

 

もちろん、百済人であった場合、百済人であることは隠すはずです。日本の支配階級に紛れ込むには、ヨソ者である百済人では不利だからです。

現代まで続く藤原氏の影響力

後に中臣鎌足は、藤原氏の姓を天智天皇から授けられます。

そして、鎌足の息子である藤原不比等は、天皇の外戚になろうと暗躍します。

藤原不比等は、娘の宮子を文武天皇の妃として嫁がせました。宮子の生んだ男の子が、後の聖武天皇である首(おびと)皇子です。

藤原不比等は、天皇の外戚となって実権をほぼ握りました。

そののち400年ちかく平安時代の後期まで、藤原氏は天皇の外戚として栄えました。

平安時代だけでなく、明治から昭和の時代にかけて、藤原氏の子孫が権力を握りました。

明治時代は、西園寺公望が総理大臣に就任。昭和の時代は近衛文麿、細川護煕が総理大臣に就任しました。

いずれも藤原氏を先祖にもつ総理大臣です。

現代でも藤原氏の子孫は、政官財の中枢で強い影響力をもっています。

そうみていくと、百済という国は、とてもしぶとい国であると思ってしまいますね。

 

北条時宗は、なぜ元(蒙古)の使者を斬ったのか?

鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が元(蒙古)の使者を斬った話しは、有名な史実です。 

もし、蒙古の使者を斬らなければ、元寇は起こらなかっただろう、といわれています。

北条時宗は、ボンボン育ちのため、周囲の意見に振り回され、判断を誤った、と論ずる専門家もいます。

そのため、「北条時宗は、アホだ」という評価も多いですね。

しかし、当時の鎌倉幕府が置かれた状況を考えると、元の使者を斬ったことは、必ずしも間違いとはいえません。

もちろん、人の命を奪うことは許されないことですが、現代と時代状況が違うため、仕方がありません。

では、なぜ、使者の命を奪う必要があったのでしょうか?

蒙古が朝廷と同盟することを危惧した

使者を斬った理由は、元と朝廷を同盟させないためです。

野蛮人にみえる元(蒙古)ですが、知的な戦略も得意です。敵対する国の敵対関係を調べ、内輪もめをさせ、漁夫の利を狙うのが元の譲渡手段です。

過去、後鳥羽上皇の承久の乱のように、朝廷がふたたび倒幕のため、動きだすことを恐れたのです。しかも蒙古と同盟して攻めてこられたら、到底、勝てません。

実際、元の使者は、直接、朝廷のもとにも訪れています。

だから、使者を斬ることにより、元を怒らせ、朝廷と元が同盟する隙を与えなかったのです。

朝廷は、ほとんど直属の兵をもっていません。朝廷の最大の武器は「権威」です。権威で武士を集い、敵対する勢力に対抗してきました。

しかし、このころの朝廷は、幕府により牙が抜かれており、元と同盟さえしなければ、恐れるに足りません。

日本は、海という自然の防壁に囲まれています。鎌倉武士が一致団結すれば、必ず勝てると踏んだのでしょう。

朝鮮半島の高麗が辿った運命をみでも、北条時頼が使者を斬った決断は正しいように思われます。

高麗では、朝廷と元が同盟して武臣政権を倒した

鎌倉時代、朝鮮半島の高麗も、武士が政権を掌握した「武臣政権」といわれた時代でした。

当時の高麗・武臣政権は強く、元が40年以上の間に9度も攻めてきましたが、頑強に抵抗しました。

しかし、最後には、高麗王朝と元が同盟を結び、約100年続いた武臣政権を倒したのです。そして、高麗は元の支配下に置かれました。

もし、日本でも、元の使者を斬っていなかったならば、限りなく高麗に近い状況になっていたかもしれません。

武力のない朝廷ですが、後に「建武の新政」が起こりました。鎌倉幕府は滅び、ふたたび政権が朝廷の手にもどったのです。

もし、朝廷と元が同盟を組んでいたら、かなり深刻な状況になっていたことでしょう。

だから、やはり北条時宗の決断は、正しかったと思わざるおえません。

ひとこと

当時、九州の武士たちは、北条時宗に謁見すると、時宗の堂々とした姿に圧倒され、それだけで、元に勝てると自信をもったそうです。

時宗は、一度も九州の戦地には行かず、鎌倉で指揮をとっていたとのこと。

・・・という話からすると、時宗は育ちの良いボンボンではなく、とても逞しい執権だったみたいですね(●>U<●)

なぜ、古代の歴史ドラマが存在しないのか?

 

鎌倉時代以降の歴史ドラマは、たくさんありますが、平安時代以前のものは、ほとんど見かけません。

 

現在、NHK大河ドラマ鎌倉殿13人が放送されていますが、鎌倉時代を描いたドラマはいくつもあります。

 

戦国時代や江戸時代、幕末などは、数え切れないほどです(私の記憶の範囲ですが)。

 

平安時代を舞台にしたドラマは、NHK大河ドラマの風と雲と虹とぐらいなものです。このドラマは、昭和51年に放送され、平将門の生涯を描いています。

 

映画などでは、空海や鑑真など、人物中心のものはあります。

 

しかし、中国大陸の隋や唐、朝鮮半島の百済、高句麗、新羅などとの国際関係を描いたドラマは、見たことがありません。

 

逆に韓国歴史ドラマには、古代を舞台にしたドラマが沢山あります。

 

ネットで調べてみると、大阪放送局制作の『聖徳太子』や『大化の改新』がありました。ドラマのあらすじを読んでみると、大陸との国際関係にはあまり触れていないようです。

 

いずれにしろ全国放送で、古代を舞台にしたドラマを見たことがありません。

 

個人的には、飛鳥時代の白村江の戦いをドラマにしたら、面白と思うのですが、まったく、そんなドラマはありません。

 

やはり、古代歴史ドラマは、テレビ局から嫌われてような気がします。

 

でも、なぜ、古代歴史ドラマは、テレビ局から、こんなに敬遠されているのでしょうか(・_・?)

 

古代の日本は朝鮮半島の分国状態だったからか?

 

古代の日本が朝鮮半島の分国状態であったことは、疑いようがありません。

 

弥生人は、中国大陸や朝鮮半島から日本へ渡ってきました。その数、トータルで、おおよそ100万人前後と推測されています。

 

距離が近いので、大部分が朝鮮半島の人たちで占められていました。

 

一方、当時の先住民である縄文人は、20万人から30万人ぐらいと推定されています。しかも、ほとんどが関東より東に住んでいました。

 

 

ということは、古代日本の中心地である近畿地方には、ほとんど縄文人は住んでいなかったことになります。

 

近畿地方は、まさに弥生人(渡来人)の独占都市と化したことが想像できますね。

 

百済人や高句麗人、新羅人だらけで、ペチャクチャと片言で、会話している姿を想像してしまいます。

 

また、近畿地方には、百済や高句麗、新羅に関係する遺跡も数多く残っています(古墳に多い)。

 

これは歴史の事実だから疑う余地はないのですが、ひとつ問題があります。それは、日本人のアイデンティティ(存在証明)に関わることです。

 

日本人の神話や天孫降臨説が否定されてしまう

 

飛鳥時代から平安時代の日本人は、すでに日本人としての自覚とプライドがありました。「先祖が朝鮮半島からやってきた」という移民の子孫ような感覚は、ありません。

 

さらに、大陸の国家と対抗するためには、日本人としての日本人のアイデンティティ(存在証明)をもち、民衆を団結させる必要があります。

 

そのため、日本神話がつくられ、日本という国は神がつくったという話がつくられました。また、代々の天皇は、神の子孫であるという天孫降臨説もつくられました。

 

 

だから、とくに朝鮮半島から日本人の祖先が大勢、渡ってきたという事実は伏せたかったわけです。

 

そうでないと、日本神話天孫降臨説否定されてしまいます。

 

その証拠に、古墳時代の歴史に関する書物は、平安時代初期に、ほとんど焼き捨てられてしまいました。おそらく、朝鮮半島から先祖が渡ってきた記録が、記されていたのではないでしょうか。

 

・・・と、ここまでが古代の事情ですが、現代でもアイデンティティに関する問題が残っているようです。

 

現代でもアイデンティティを気にしてテレビ放映されない?

 

「もう、そんな大昔のこと気にしなくていいじゃねぇか」と誰もが思うのではないでしょうか。

 

しかし、現代でも、いろいろな考えの人が大勢います。

 

韓国や北朝鮮、中国の人たちが、どのように反応するかもわかりません。

 

アメリカのように歴史の浅い国であれば、スッカっと割り切れるのでしょうが、日本はそうではないようです。

 

 

つまり、テレビ局は、どんなクレームがくるかわからないから、古代歴史ドラマを放送しない、という結論になります。

 

これは、私個人の感想ですので、本当かどうかわかりません。

 

でも、良くも悪くも日本人としてのアイディンティが大切にされてきたからこそ、現代の日本の発展があったのではないかと思います。

 

とにかく、個人でも国家でもアイディンティは大事ですね・・・(?_?)

 

ひとこと

 

国としてのアイデンティティ(存在証明)から、いろいろな宗教思想が生まれています。

 

日本神話もその一つです。ライバルの国と対抗するには、どうしても必要なものです。

 

このことについても、今度、書いてみたいと思います(^●∀●^)

鎌倉武士は不動産投資家だった!?

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、とても不思議に思うことがあります。

 

なぜ、金も家来もいない、貧乏人の源頼朝に多くの兵が集まり、平家を滅ぼすことができたのか(・・?)

 

ほかの天下を手中にした人物をみると、皆、金持ちで家来もたくさんいました。源頼朝の持っていたものは、「源氏の嫡流」という地位だけ。

 

嫡流ではありませんが、源氏の子孫は、当時の坂東(関東あたり)にはゴロゴロいました。しかも、その源氏の子孫たちは、金も家来も豊富だったのです。

 

しかし、金と家来がたくさんいることが、欠点だったのです。

 

金と家来がたくさんいるということは、それだけ大きな土地をもっていることになるからです。広大な土地をもっていれば、それだけ周囲の豪族からは脅威になります。

 

源頼朝は、絶好の神輿だった

平安末期の当時、現代のように警察も裁判所もありません。武力で土地を奪ったり、奪われたりが頻繁におこなわれていたのです。

 

だから、広大な土地をもつ源氏の子孫は、坂東武者からみれば、協力なライバルです。そんな者を立て、平家打倒のため一致団結しようなどと夢にも思いません。

 

下手したら、平家を打倒する前に、源氏の子孫から、自分の土地を奪われかねません。

 

 

ところが、源頼朝は、兵も土地も何ももっていないのです。これなら安心して、神輿として担ぎ上げ、平家打倒を目指すことができます(´^ё^`)

 

頼朝は、坂東武者を一致団結させるためのシンボルとして、使いやすかったわけですね。

 

当時の武士は、土地の所有権の安定を求めていた

 

当時の武士は、土地の奪い合いに疲れはてていました。権力者から土地の所有権を認めてもらい、安定した地位がほしかったのです。

 

そして、権力者から認めらた土地を増やしていきたいという欲望もありました。

 

つまり、鎌倉武士たちは、不動産投資家としても、投資対象の源頼朝に期待したわけです。

 

 

その不動産投資家(鎌倉武士)たちの目論みは見事に当たり、投資対象の流罪人・源頼朝を将軍にまでお仕立てることに成功したのでした。

 

もちろん、褒美の土地もたくさん与えられ、鎌倉武士は安定と莫大な不動産(土地)を手に入れることができました。

 

北条政子が演説しなくても、御家人は朝廷を倒していた

朝廷が鎌倉幕府を倒そうと計画した承久の乱のときの、北条政子の名演説が有名です。

 

しかし、なにも政子が演説しなくても、鎌倉武士たちは、幕府を裏切らず、朝廷を攻撃したと思います。

 

もし、幕府が滅びれば、鎌倉武士の土地も奪われてしまうか、とても不安定な状態になってしまうからです。

 

米をつくる土地が奪われることは、経済基盤の危機につながります。

 

 

幕府の恩に報いるというより、「自分たちの土地を守る」という意識が強かったことでしょう。

 

当時の武士たちは、朝廷の頼りなさと、いい加減さにウンザリしていたのです。

 

現代の世も、年々、税金が上がり、年金問題、円安、景気の後退など、ウンザリさせられることが多々、あります。

 

そろそろ、鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝と鎌倉武士のような存在が現れてきてくれないかと、ボヤきたくなります。

 

いったい、いつになるのでしょうかね(-。-;)

 

ひとこと

空き家投資に興味をもち、不動産関連の本ばかり読んでいると、歴史というのは土地問題が大半占めていることに気づきました。

 

昔も今も不動産が私たちに与える影響は、とても大きいですね(^●∀●^)

 

 

ワードプレスから、はてなブログへも戻ってきた理由

 

久しぶりに、はてなブログで記事を書くことにしました。

 

ワードプレスで仕事に関連することを、少し書いていたのですが、昨日、ふと「はてなブログは良かったな~」と思い出し、いきなり引っ越しました。

 

すごく懐かしいです。

 

過去、はてなブログで何度がホットエントリーして、爆発的にPVが増えた快感がわすれられません\(^ ^)/

 

夢よもう一度というには、大袈裟すぎますが、PVが増えやすいという「はてなブログの仕組み」は、モチベーションが上がります。

 

もちろん、ワードプレスにも長所はたくさんあります。

 

しかし、やはり、PVを増やしやすい「はてなブログ」の魅力も捨てがたいです。

 

ネットで検索すると、はてなブログからワードプレスへ引っ越す記事が多く、その逆の記事は、ほとんど見かけません。

 

そこで、私の経験から「ワードプレス」と「はてなブログ」の比較を、少し書いてみたいと思いました。

 

はてなブログは、SEOを無視してもPVがのびる



そうなんです!はてなブログの素晴らしさは、小難しいSEOなんか知らなくても、PVがドカ~ンと上げられるところです。

 

そして、YMYL(Your Money or Your Lifeを、あまり気にしなくてもよい点です。

 

ご存じでしょうが、YMYLは健康や金融、投資など、人間の幸福に大きな影響を与える記事を、個人が書いても、検索順位が上がりにくくなるgooleの仕組みのことです。

 

私も空き家など「不動産投資」に興味をもち、そのあたりの記事を書きたいと思いましたが、ワードプレスではいまいちモチベーションが上がりません。

 

「いくら記事を書いても、誰も見にきてくれねぇ~」という感じで苦しみたくないですからね。

 

・・・というところが、「ワードプレス」から、「はてなブログ」へ引っ越した一番の理由です(^O^)

 

「あんた、考えが甘いんだよ」という声も聞こえてきそうですが、私と同じような人も少なからず見かけます。

 

購読者リストを見てみると、同じように「ワードプレス」から「はてなブログ」へ引っ越したり、併用しているブロガーの方もいました。

 

はてなブログの仕組みも変わりつつある

当然ですが、はてなブログの仕組みも常に変化しています。

 

数年前のような「PV爆発」のようなことは、もう起きにくくなっているかもしれません。

 

現在、Youtubeは、YMYLについて、あまり厳しくはありませんが、将来的には文字ベースのサイトと同じように厳しくなるという話も聞きます。

 

数年前、私は「純ココア」というキーワードで、検索1位になったことがあります。しかも、森永やバンホーテン、Amazo、楽天を抜いての一位でした。

 

mizue338.net

 

 

そのころの、はてなブログのパワーは凄まじく、私のような個人が大手に勝てるほどだったのです。

 

当時は、ブックマークを多く集めるだけで、検索上位に入ることができました。

 

しかし、いまでもホットエントリーの威力を期待しています。久しぶりなので、どうなるかわかりませんが・・・・。

 

ワードプレスの優れている点は何か?

先に書いたPVを即効的に集めやすい点以外ですと、やはりワードプレスのほうが便利だと思います。

 

まず、デザイン性に優れています。

 

サイドバーの「プロフィール覧」にAmazon電子書籍のリンクを置きましたが、本当は画像も入れたかったのです。

 

しかし、どうしても入れられませんでした。これがワードプレスだと、簡単に画像を設置できます。

 

そのほかレイアウトなどのデザイン性も含め、自由度が圧倒的に高いです。

 

また、同じ月額料金で、いくつものサイトがつくれます。しかも、完全な別サイトとして、つくれます。

 

私は現在、ワードプレスで3個のブログをもっています。といっても、なかなか記事更新ができませんが(´~`)。

 

やはりワードプレスはSEOに優れているようだ

少しワードプレスでSEOらしきものに挑戦しましたが、少し成果がでました。

 

こちらのヘタウマネットという仕事に関するブログを書いたら、いくつかのスモールキーワード一位になりました。

 

こちらの「GRC」という検索順位ツールで確認しました。

GRG順位検索ツール

なかでもキーワード「工事担任者 意味ない」は、そこそこ検索数の多いキーワードです。

 

自分の体験を書いたので、説得力があったのでしょうか。SEO的に効果があらわれたようです。

 

20記事ほど書いて、月間2000PVほどです。このまま100記事ほど書けば、月間数万PVもいくのではないかとも思いました。

 

ところがです。書くことがなくなってしまいました(;Д;)

 

私は、もともと歴史の記事を書くのが得意でした。歴史に関してならば、いくらでも書く自信があります。

 

しかし、歴史の記事は、いくら書いてSEOを頑張っても、検索上位にいきません。

 

とくに「信長」や「秀吉」、「家康」などのビックネームは、とても個人のパワーでは検索上位はとれません。

 

というわけで、ここは、やはり「はてなブログ」さんのお世話になるしかありません。

 

ひとこと

ブログのアフィリエイトが難しい場合でも、webライターという選択肢もあります。

 

webライターならば、ガチガチのSEO知識は必要ありません。ブログで記事を書いて練習できます。

 

また、ブログ記事を実績として、クライアントへアピールすることもできます。

 

そのためにも、孤島のようなワードプレスでなく、町中のような、はてなブログでモチベーションを上げ、頑張っていきたいと思います(●^U^●)

 

歴史のワンパターンである一神教と多神教の関係??

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よく「歴史は繰り返す」といいますが、これは歴史がワンパターンであるからです。

 

 一神教と多神教の関係も、とてもワンパターンです。人類の歴史は、一神教と多神教が広まったり、融合した歴史であったといえるかもしれません。

 

環境が過酷な状態になると、一神教の神や人などを敬ったり、リーダーとしてたてたりします。

 

子供のころ、隣りのクラスのいじめっ子達がやってくると、クラス内でリーダーを決め、隣りのクラスに対抗しようとします。

 

それと同じです。

 

ヨーロッパの国々は、中国よりも狭い地域に多数の国がありました。隣りの国が攻めてくると、国内でリーダーを決め対抗します。

 

隣国に負けない、より強いリーダーをつくるためには、神格化してカリスマ化する必要がありました。そこから一神教が尊ばれるようになったのです。

 

そして、ヨーロッパ全体が一神教であるキリスト教を信仰するようになりました。

 

ヨーロッパに比較して東洋は、広い地域で自然環境に恵まれていました。ヨーロッパほど環境が過酷ではなかったのです。

 

だから一神教のような強力なリーダーを求めるような信仰は、ある時期まで必要性が低かったのです。

 

もともと多神教の国であった日本も、一時的に一神教が広まった時期が3回ほどありました。

 

いずれも過酷な状況におかれた時でした。

 

 

中国の一神教とは何か

 

中国の三大宗教は、儒教、仏教、道教といわれています。秦の法事国家を除いて、三大宗教が代わる代わる国教として信仰されていました。

 

この中国三大宗教は、神を信仰したりしないので、一神教とはいえない面もありました。

 

ところが、宋の時代、一神教が現れたのです。儒教から派生した朱子学です。中国は世界の中心という中華思想です。それまでの中国三大宗教と違い、たいへん求心力の強い教えでした。

 

西遼、金、西夏などの異民族に圧迫されていた宋は、国内の団結力を強めるため、朱子学を国教としたのでした。

 

しかし、ヨーロッパのように国同士の文明の戦いがおこらなかったため、朱子学のおかげで、進歩が遅れてしまいました。

 

 

日本にも一神教の時代があった

 

飛鳥時代、日本が大陸の唐や新羅の脅威を受けたとき、天皇が誕生しました。神話の時代から天皇は続いていいるのですが、天皇という呼称がつかわれたのが、この時代でした。

 

それまでは、大君とか大王とか呼ばれていたのです。天皇と呼ぶことによって権威を高め、唐や新羅に対抗しようとしたのです。

 

少し一神教に近いですね。

 

ほぼ完璧に一神教に近い時代がありました。戦国時代の浄土真宗です。宗主を生き仏として、阿弥陀仏を拝むことによって西方浄土にいけるとした教えです。

 

戦国の過酷な状況が、浄土真宗を一神教のような信仰に変貌させたのでした。浄土真宗の門徒は、日本のキリシタンとまでよばれています。

 

昭和初期は、天皇を信仰する国家神道なるものが生まれました。これは、まさしく一神教でした。

 

仏教を禁止する廃仏毀釈令がだされ、お寺が破壊されたのです。奈良の興福寺も、この時に壊されました。

 

アメリカやイギリス、中国などを敵にまわしていた日本は、一神教で国内を団結する必要があったのです。

 

いずれにしろ、過酷な状況におかれると、一神教が生まれる傾向にあるわけです。

 

 

ひとこと

 

日本人は、クリスマスはキリスト教、正月は神道、冠婚葬祭は仏教など、特定の宗教にこだわりません。

 

これも、日本が平和なおかげですね。

 

 

「信長とフロイスの対話」を書いて、一神教と多神教の面白さがわかった!!

 

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 小説「信長とフロイスの対話」は、一神教であるキリスト教と多神教のような仏教(?)について、信長とフロイスが、議論をしている小説です。

 

一神教と多神教というと、とてもつまらない感じがしますが、そうではないのです。

 

私も、神に話は、つまらないと思っていたのですが、小説を書き終わった後、そうでもないと思いました。

 

一神教と多神教が歴史に与えた影響は、なかなか興味深いです。

 

歴史の教科書やうんちく本を読むと、いろいろ書かれています。しかし、私なりに一神教と多神教の関係をとらえることができたのです。

 

・・・・と、一人で自己満足して喜んでいます。

 

 

西洋は原理主義と現実主義のバランスが良かった

 

一神教の原理主義の欠点は、一度、決められた教えが間違っていても、それを認めないことです。

 

原理主義に陥ると、自己犠牲や他人を犠牲にすることを正義とする信念ができてしまいます。古い話ですが、浅間山山荘事件や地下鉄サリン事件など、まさにそうでした。

 

西洋の魔女裁判や地動説への迫害など、数え切れないほどあります。

 

近年でも、電気理論で有名な、オームが発見した「オームの法則」も、神への冒涜といわれ、迫害されたのです。

 

だから一神教の原理主義は、とてつもない悪だ、という気がしてきますが、ヨーロッパではそうでもなかったのです。

 

なぜならば、原理主義を修正する機能があったからです。その機能とは、西洋の狭い地域にある多数の国々です。

 

ある国が一神教の原理主義に陥り、国力が衰退すると、他国から攻められ、負けたりします。

 

つまり、痛い目に合うのです。

 

痛い目に合った国は、反省して、「一神教の原理主義」ではダメだとなります。原理主義から「現実主義」になるのです。そして改革がおこります。

 

西洋は、常に国同士で反省したり欠点を教えあったりすることができたのです。

 

なので西洋は、一神教の原理主義にもかかわらず、長期的には原理主義に陥らず、現実を改革して、やがて産業革命を成しとげます。大いに発展することができました。

 

一神教の原理主義の長所は、ひとつの目標にむけて多くの人々を糾合できる点です。

 

西洋は、原理主義と現実主義のバランスが絶妙にコントロールされていたといえましょう。

 

 

多神教の東洋は、長期的には一神教の原理主義になった

 

西洋と逆の発展をしたのが東洋です。

 

中国や朝鮮は、もともとは多神教の国です。しかし、最後は、「中華思想」という一神教みたいな原理主義に陥ります。

 

具体的には、中華思想を賛美する朱子学の原理主義国家となります。

 

19世紀、中国、朝鮮は、自分達は世界の中心であるという原理主義から抜け出せなかったのです。西洋と違い、現実に目をむけることができなかったのです。

 

だから、当時の西洋列強に対抗することができず、領土を蚕食されました。

 

この原因は、中国、朝鮮は、西洋のような原理主義を修正する機能がなかったからです。西洋に比べると、平野が多く、多くの国が併存しにくい環境にあったことも一因でしょう。

 

現実主義よりも原理主義が優勢なまま、19世紀をむかえてしまい、西洋に大きく遅れをとってしまったのです。

 

日本は、島国だったので、中国や朝鮮の影響を受けず、原理主義よりも現実主義が優勢でした。なので明治維新をなしとげ、西洋の侵略を防ぐことができたのでしょう。

 

 

ひとこと

 

小説やブログ書いたり、本を読んだりすると、どんどん書きたいテーマが浮かんできます。

 

時間ができたら書きまくろうと思います。

 

こうしてブログに書くと、備忘録や小説を書くときの資料にもなります。ブログと小説の併用って、なかなか便利です。

  

小説を書くコツが少しわかった!?信長とフロイスの対話を小説にしてみた!!

 

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六冊目の小説「信長とフロイスの対話」をAmazon電子書籍に出版しました。

 

13ページしかないので、超短編小説です。長い物語にしたかったのですが、やはり無理でした。途中で力つきてしまいました。

 

プロの小説家は、膨大な書籍や資料を集めてから小説を書くそうです。私の場合、ネットでちょこちょこ調べる程度なので、長く書けるわけがありません。

 

あくまで仕事の合間の趣味として書いているので、仕方ありません。

 

でも、電子書籍のいいところは、後から書き足したり修正ができる点です。六冊の電子書籍を、暇なときに書き足していきたいと思います。

 

 

ヘタウマ小説を書くコツがわかった

 

よく紙に書いたことが実現するといわれています。私の場合、書いていると、いろいろなことに気づき、あれも書きたい、これも書きたいというアイデアが生まれます。

 

不思議なものです。

 

しかし、文章は、自分ながらにとても下手くそだと思っています。最初は、恥ずかしくて、Amazonに出版する気にはなれませんでした。

 

ところが、コツがあったのです。

 

それは、下手くそでもとにかく書いてみて、何度も読み返すことです。他人の文章を読む感覚であら探しをします。そして、修正をします。

 

時間がかかりますが、これをやると、かなり、まともな文章になっていきます。もちろん、自己満足の範囲でですが。

 

昔の小説家は、紙の原稿用紙に書いていましたから、こんなことはできません。今は、ワードか一太郎で簡単にできてしまいます。

 

ブログで書くのもいいですが、電子書籍は違った意味での楽しさがあります。

 

 

売れる工夫をしてみたい

 

しかし、たくさんの人に読んでもらわなければ楽しくありません。

 

一冊目を無料キャンペーンで出版したら、何千人もの人が読んでくれました。二冊目からは数百人が数十人という落ち込みようです。

 

電子書籍を出版する人が増えているせいかもしれません。あるいは、私の小説の内容が不評のせいかもしれません。

 

二冊目からは極端に短い小説になってしまったので、それが原因かもしれません。徐々にページ数を増やして、他の小説HP、「KOBO」や「小説家になろう」にも投稿したいと思います。

 

今は更新が休みがちなブログですが、ブログで宣伝するのもよさそうです。時間ができたら挑戦したいです。

 

 

ひとこと

 

電子書籍は、ブログを書くよりも時間がかかりますが、楽しいです。今後も続けていきたい趣味です。

 

 

   

鑑真の使命とは何か!?天台宗を伝えるために日本にきたのか?

  

 

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ブログは長いことお休みしていましたが、短編歴史小説を三冊書きました。

 

その中の一つ「鑑真の使命」は、我ながらに斬新な内容だと自己満足しています。でも、他人からみたら、アホだと思われるかもしれません。

 

鑑真は、戒律を説く律宗を日本に伝えたことで有名ですが、私は、絶対に天台宗を伝えにきたと思っています。

 

ところがネットや書籍を見てみると、律宗をメインに伝えにきて、天台宗はオマケで日本に持ち込んだ感じで書かれています。

 

絶対に違うと思います。

 

なぜならば、律宗は、会社でいえば就業規則のような教えだからです。勤務時間や休日、無断欠勤はいけない、セクハラもいけない、などというような細々とした規則が説かれているからです。

 

就業規則のような、つまらない教えを、命をかけてまで鑑真が日本へ伝えようとするでしょうか。

 

やはり社運をかけた極秘事項のようなものでないと、なかなか、あそこまで頑張れないと思います。

 

ちなみに仏教の代表的な戒律の五戒は、不殺生戒(生き物を故意に殺してはならない)、不偸盗戒(他人のものを盗んではいけない)、不邪婬戒(不道徳な性行為を行ってはならな)、不妄語戒(嘘をついてはいけない)、不飲酒戒(酒類を飲んではならない)・・・・・・などです。

 

お酒を飲んではいけないというのは、ちょっといやですね。実際は、酒のことを般若湯といってお坊さんはガブガブ飲んでいたそうです。

 

不道徳な性行為もかなり行っていました。これはあまり気持ちよくないので書かないことにします。

 

 

律宗よりも天台宗のほうが歴史に与えた影響が大きい

 

そうなんです。律宗は、比較的、影響力が非常に小さい宗派とも言えます。私の家の付近はおろか、どこへ行っても律宗の寺を見たことがありません。

 

それに比べると、天台宗と天台宗から派生した浄土宗、浄土真宗、日蓮宗の寺院の数はメチャクチャ多いです。

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それだけ天台宗の影響力が強かったことを物語っています。織田信長が争った宗派も天台宗、浄土真宗、日蓮宗などです。

 

戦国時代、この三宗派は巨大な暴力集団と化していました。ときに戦国大名以上の軍事力をもち、恐れられていました。

 

天台宗は、良い面でも悪い面でも歴史に大きな影響を与えたのです。

 

 

宗教は水や火と同じだ

 

水や火と同じで、利用の仕方で善にも悪にもなります。

 

火を誤って利用すると火傷や火事の災難を起こします。暖防や灯り、料理、風呂などに利用すれば恩恵をもたらします。

 

宗教もおなじではないか・・・・・と思っているのですが、これがなかなか難しい。

 

というのも宗教は、とても抽象的だからです。人によって、どのようにでも、とらえることができます。だいたい自分の都合のよいように解釈することが多いのではないでしょうか。

 

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だから天台宗からも土宗、浄土真宗、日蓮宗などの宗派が派生して、さらに孫やひ孫の宗派まで派生していきました。

 

あらゆる面で日本の宗教界に大きな影響を与えた天台宗は、それだけ価値のある教えなんだといえるのではないでしょうか。

 

そう考えると、やはり鑑真は天台宗を日本に伝えにきたと思ってしまいます。

 

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超短編歴史小説「鑑真の使命」Amazonで販売中 

 

ひとこと

 

そもそも人間の心自体が、とても抽象的ですね。

野良猫の子猫を飼おうとしたら、母猫が邪魔して飼えない!

 

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窓からやってくるキジトラ子猫を飼おうとしましたが、あきらめました。この記事で紹介したウズラ猫です。

  

www.mizue338.net

  

理由は、母猫が邪魔をするからです。

 

母猫の子猫を思う愛情は強烈です。我が子のためなら、火の中、水の中という感じです。

 

母猫さえいなければ、ウズラ猫を飼えたのに残念です。

 

動物愛護法で猫は守られているので、母猫を無理に近所から追い出すわけにもいきません。

 

今回は、母猫の執念に負けました。

 

 

子猫二匹を保護したら、母猫が怒りまくった

 

親戚の紹介で、子猫二匹の里親さんが見つかりました。

 

ウズラ猫の兄弟を里子に出し、私は、ウズラ猫を飼おうと思いました。

 

兄弟二匹を保護して、子猫が引き取られるまで、ゲージに入れておきました。すると、たいへんなことが起こりました。

 

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子猫が鳴くと、母猫がやってきて、外から鳴いたり窓を叩いたりするのです。

 

母猫の鳴き声を聞いた子猫は、激しく鳴きます。ゲージから抜けだそうと必死です。ガチャガチャとうるさいです。

 

窓を開けたら、母猫が入ってきました。

 

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普段、私の顔を見るだけで逃げてしまう母猫が、大胆にも家の中に入ってきます。それだけ必死なのでしょう。

 

そして、私に向かって、シャーと威嚇をします。怖い!

 

でも、二匹の子猫は無事、引き取られ、里親さんのもとへ旅立ちました。めでたし、めでたし、です。

 

 

鳴き声で近所迷惑になるので飼えない

 

私の住んでいる付近は、閑静な住宅街です。隣の家の会話が聞こえるほどです。

 

深夜、家の中と外で、子猫と母猫に鳴きわめかれたら、近所から苦情が殺到することは間違いありません。

 

なので、残された一匹の子猫(ウズラ猫)を飼うことを、あきらめました。

 

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ネットで里親を探すことも考えましたが、その場合でも、家で保護することが必要です。前記の理由で、それもできません。

 

このままだとウズラ猫は、野良猫のままです。かわいそうだと思いますが、仕方がありません。

 

他の二匹の子猫を里子に出せたことだけでも、喜ばしいことです。

 

少しでも野良猫が減ったことにより、ウズラ猫も住みやすくなったのではないかと思います。

 

お姉さんのウナギ猫(黒猫)がいるので、ウズラ猫もさみしくないでしょう。

 

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でも、困ったことに、里子に出したその日、母猫がオス猫(オヤジ猫)と交尾をしていました。この時期、メス猫は、発情しないのが普通です。

 

おそらく、子猫二匹を失ったストレスで、発情してしまったのかもしれません。

 

また子猫が生まれたら、困ります。

 

これ以上、かわいそうな子猫が増えないようにするため、私もできる範囲で、猫ボランティさんに協力していきます。

 

 

ひとこと

 

私の家の付近は、比較的、野良猫が住みやすいようです。

 

近くに公園があります。野良猫はそこでフンやオシッコをするので、糞尿被害が少ないようです。

 

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近くの商店街では、去年まで公然と野良猫にエサをやる人(ボランティアではない人)がいました。普通なら苦情がくるところですが、容認されているみたいです。

 

いまでも、この黒猫は商店街をうろついていますが、かわいがられているみたいです。

 

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ネズミの害を防いでくれるからかもしれませんね。

 

 

子猫がウズラ猫になってしまった!?!キジトラ子猫は可愛い!

 

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数日前まで裏の家のベランダにいた子猫が、一階の窓から入ってくるようになりました。

 

三匹の子猫のうち、一匹がとても人懐っこいです。

 

他の二匹は、私のことを怖がっていますが、この子猫だけ、あまり怖がりません。

 

 

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他の二匹が逃げても、この子猫だけ逃げないことが多いです。そして、すぐウズラのように丸くなり、居座ります。

  

窓を閉めても、怖がりません。

 

黒の子猫(ウナギ猫)のとき、窓を閉めたら、パニックになりましたが、このウズラ猫は落ち着いています。

 

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指でつついても、ツンツン鼻で挨拶します。 そして、指で遊んだりします。

 

 仕事にでかけるため、ウズラ猫を窓の外に追いだそうとしても、ふんばって抵抗します。

  

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かなり力を入れ、追い出しました。

  

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追い出した後も、窓の近くで、ガリガリ爪で音をたて、もう一度、家の中に入れろ、と抗議します。

  

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とくに最近、寒くなってきたせいでしょうか。やたらと家の中に入りたがります。

 

少しでもすき間があると、スルッと入ってきて、窓際でウズラになっています。

 

 

キジトラの子猫は、かわいい

 

私は、子供のころ三毛猫を飼っていたので、三毛猫が一番、好きでした。キジトラは、殺伐とした印象があったので、あまり好きではありませんでした。

 

でも、間近でキジトラの子猫を見ていると、とてもかわいいです。

 

まるで、お菓子みたいです。

  

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抹茶ケーキにチョコレートの縞模様、目は葡萄、鼻は梅みたいです。食べてしまいたくなります。

 

 ネットで調べましたが、子猫ケーキや子猫パンというものは、販売されていません。どこかのお菓子メーカーでつくってくれないでしょうかね?

 

この子猫は、ウズラにも似ているウズラ猫なので、卵も温めさせたくなります?

 

 

キジトラと黒の子猫は、性格が違う

 

今年の春に生まれた黒の子猫と、秋に生まれたキジトラの子猫は、あきらかに性格が違います。

 

猫は、毛色によって性格が違うといわれていますが、本当でした。

 

黒猫は、動くものに興味を示すそうですが、本当です。黒子猫は、猫用オモチャでやたらと遊びます。

 

でも、キジトラ子猫は、オモチャを前足で少しつつく程度で、あまり遊びません。

 

黒子猫は父猫にも懐きますが、キジトラ子猫は懐きません。威嚇することもありました。

 

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でも、キジトラ子猫は、触ってもあまり嫌がりません。黒子猫は嫌がりました。

  

 キジトラは、猫の中で一番、触られたり抱っこされたりが嫌い、だといわれていますが、この三匹は、スキンシップを嫌がりません。

 

一方、黒猫は、抱っこどころか、ちょっと触るのも嫌がります。猫のなかで最も懐きやすい、といわれている黒猫ですが、これは意外でした。

 

そして、触ろうとすると、黒子猫は噛んだり猫パンチをやたらとしますが、キジトラ子猫は、ほとんどしません。

 

これは、あくまで私が接した子猫についての感想ですが・・・?

 

 

 ひとこと

 

オス猫だと思っていた黒の子猫(ウナギ猫)が、メスでした。成長してきたので、はっきりお尻の下あたりで確認ができました。

 

ウナギ猫は社交的な性格です。

 

メス猫は内気でオス猫は社交的というのは、一概にあてはまらないようです。

 

猫の性格は、いろいろ複雑ですね。

 

 

wordpress(ワードプレス)のバックアップと復元の方法が、やっとわかった!?

 

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ワードプレスでビジネス用のブログを作成中です。

 

仕事用なので、バックアップを強化する必要があります。

 

はてなブログからワードプレスに引っ越そうとして、適当に取り組んだことはありますが、ビジネス用としては初めてです。

 

はてなブログと違い、バックアップも自分でやらないといけません。

 

バックアップは、それほど難しくはなかったのですが、復元が意外に複雑でした。

 

でも、ようやく目途もつき、ひと安心です。

 

ワードプレスの復元は、めったに行うことがないので、備忘録として、記事にしました。

 

 

ネットや本で調べて、復元の方法がわかった

 

バックアップ用のプラグインは、定番のBackWPupで、保存先はドロップボックスを使うことに決めました。

 

ネットでは、このほかにもいろいろバックアップ方法がありましたが、試してみると、上記の方法が一番、確実だと思いました。

 

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UpdraftPlusというプラグインが簡単で使いやすい、というブログ記事がたくさんありましたが、これはやめました。

 

理由は、何回か復元を試しましたが、エラーが何回も出たからです。

 

「文字の間に空白がでる」というようなエラー内容でしたが、もし、phpの記述に空白ができると、致命的な障害になるそうです。

 

手動のバックアップもありますが、手間がかかったり、忘れたりすることがあるので、これもやめました。

 

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やはりBackWPupとドロップボックスが、一番、確実です。一応、0円でできますしね!

 

 

FTPソフトのエラーに苦労した

 

BackWPupの場合、復元は、FTPソフトで行います。

 

このFTPソフトがうまく使えず悩みました。

 

エラーがやたら出たり、しまいにサーバーと接続ができなくなったりします。

 

夜中の2時過ぎまで、あれこれやっても解決しないので、あきらめかけましたが、なんとかできるようになりました。

 

それが次の方法です。

 

FTPソフトは、File Zillaです。

 

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プロトコルをFTPにすると、エラーが出たり、サーバーから切断されるので、SFTPにします。

 

SFTPにする場合、サーバー側(エックスサーバーを使用)をSSHにします。そして、秘密鍵を発行してもらいます。

 

その鍵をFile Zillaに設定します。

 

ファイル形式を「.key」から「.ppk」に変換します。

 

私は、この変換方法がわからず、あきらめかけていたとき、下記のブログを見つけ、変換できました。

 

「sshの.keyファイルを.ppkに変換する方法」

  

わかってしまえば、メヤクチャ単純なことなのですが、その単純なことがわからず、挫折しそうになりました。

 

そして、File Zillaを問題なく使うことができ、バックアップ・復元に対して、ある程度の自信が持てるようになりました。

 

 

ひとこと

 

ワードプレスは無料で簡単に使えるといわれています。

 

でも、実際に使ってみると、私のような初心者には、かなり難しいです。

 

暇ななときに勉強します。

   

 

父猫はオシッコで子猫を守っていた!

 

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黒の母猫が、また子猫を3匹も生みました。これで今年、合計8匹の子猫を産みました。

 

いまは裏の家のベランダを巣にしています。私の家から子猫の様子がよく見えます。

 

子猫は、3匹ともキジトラです。父猫がキジトラなのでしょう。母猫が浮気してつくった子供です。

 

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でも、黒のオヤジ猫(母猫の夫)は、自分の子供と思っています。もし、そう思っていなかったら、子猫は追い出されるか命を奪われているでしょう。

 

オス猫は縄張り意識が高いです。このヒゲ猫が屋根の上でオヤジ猫と会うと、威嚇されビビッて逃げます。

 

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オヤジ猫の子であるウナギ猫も威嚇や攻撃をされるようになりました。

 

ウナギ猫が近づくと、オヤジ猫は、耳元に爪をひっかけ、逃げられないようにして、しつように攻撃します。

 

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最近は、ウナギ猫がいるだけで、攻撃するようになりました。

 

ウナギ猫は、オヤジ猫の本気の一撃で、太もも付け根に傷まで負いました。

 

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しかし、ウナギ猫は、オヤジ猫が大好きです。オヤジ猫が近くにいると、ニャ~ン、ニャ~ンと、いまでも鳴いて近づこうとします。

 

ほかの4匹の子猫もオヤジ猫が近づくと、ニャ~ン、ニャ~ンと喜んでいました。

 

こんな、きたないオヤジ猫のどこがいいんでしょうか。

 

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猫心は不思議ですね?

 

 

オヤジ猫は、オシッコで子猫をファンにしていた

 

最初、キジトラの子猫は、オヤジ猫が近づくと、逃げたり威嚇していました。でも、最近は、オヤジ猫を少しずつ慕うようになってきています。

 

オヤジ猫が子育てをしている様子は、まったくありません。それでも子猫がなつくのは、オヤジ猫の「臭い」が原因のようです。

 

オヤジ猫がよく子猫の巣の近くでオシッコを、頻繁にしているのを見ます。オシッコの臭いで、ほかのオス猫を近づけないようにして、子猫を守っているのです。

 

でも、子猫はオシッコがかかった発砲スチロールや板のところで遊んだり、臭いをかいだりしていました。

 

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子猫は、オヤジ猫のオシッコの臭いをかぐことにより、だんだんオヤジ猫が好きになっていったようです。

 

猫は、視力が弱いので、臭いや声で相手を認識するといわれています。

 

だから、オシッコくさいオヤジ猫を、父猫と認識したのかもしれませんね?

 

 

4月ごろに生まれた子猫が、縄張りからまだ出ていかない

 

今年の4月ごろに生まれた子猫2匹が、まだ私の家の付近にいます。オスのウナギ猫とメスの娘猫です。

 

もう、生後半年がすぎているので、母猫から威嚇されて追い出されているのが普通です。

 

この子猫は、母猫と合うと、鼻をツンツンして挨拶をかわしています。まったく追い出される様子がありません。

 

これは、もしかしたら食べ物が豊富なのが原因かもしれません。

 

近くの公園に地域の猫ボランティアの人が、毎日、猫にエサをやりにきています。地域猫(さくら猫)という耳カットされた猫がエサを食べにきています。

 

エサが豊富なのか、地域猫は皆、デブです。

 

オヤジ猫の姿もよく見ます。

 

今年の春、オヤジ猫を見たときは、スマートでしたが、いまは太ってタヌキみたいです。猫ボランティアの人のエサを、たくさん食べているようです。

 

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また、母猫、ウナギ猫、娘猫の姿も見ます。

 

食べ物がたくさんあるため、母猫は子猫を追い出さないのかもしれません?

 

 

ひとこと

 

ベランダで、ピョンピョン遊んでいる子猫を見ていると、つかまえて飼いたくなります。

 

 他人の家のベランダなので、つかまえることができません。

 

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 でも、子猫を見ているだけで、とても幸せな気分になります(*⌒―⌒*)

 

 

スマートニュースに載ったブログ記事が、3万PVを超えてビックリした!

 

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昨日、この記事ですが1日で1万4千PV(アクセス)を超えたので、ビックリしました。

  

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今日もPVが伸び続け、2万2千PVです。合計で3万6千PVを超えました。

 

突然、アクセス数の東京スカイツリーが、昨日と今日で2本も現れました。

  

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 もちろん、私にとって、こんなにPVが増えたのは初めてのことです。しかも、なんとなく適当に書いた記事です。

 

いままでも適当に書いた記事が3~4千PVになったことがあります。

 

逆に一生懸命に書いた記事のPVが伸びないことも、たくさんありました。その代表が猫の記事です。

 

いろいろ調べたり、猫の写真を撮るのに手間がかかりました。ベストショットが取れるまで、何枚も写真を撮ったりもしました。

 

近所の公園や商店街で、猫の写真を撮っていると、変な奴だ、という目で見られたこともあります。

 

苦労の割にPVが伸びない猫の記事ですが、書いていてとても楽しいです。

 

逆に書いていてあまり楽しくない記事でも、PVが伸びると楽しくなります。

 

ブログって、いろいろな楽しみ方がありますね。

 

 

スマートニュースに載ってPVが増えた

 

6千PVあたりで、はてなブログのアクセス解析を見たら、98%がスマートニュースからのアクセス(PV)でした。

 

正直、私はスマートニュースのことを、よく知りません。話題のニュースをスマホに配信するアプリとのことです。

 

私は、早速、自分の記事をスマートニュースで見ようと思い、アプリをスマホにインストールしました。

 

30分ぐらいアレコレ検索して、なんとか見つかりました。

 

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また、スマートニュースに載る基準を調べてみたのですが、複雑でわかりにくいです。

 

一つわかったのが、「重複していない記事」が条件のようです。

 

たしかに自分の書いてきた記事を見ると、それは当てはまります。

 

 

パソコンの記事が一番、スマートニュースに載りやすかった

 

健康については、81記事ありますが、1回もスマートニュースに載っていません。健康の記事は、他の人が書いた記事を参考にすることが多いので、重複が多かったのだと思います。

 

歴史の記事は、87記事ありますが、これは4~5回、載った記憶があります。1日で2千PVになった記事もあります。

 

歴史の記事は、ほとんど重複のないオリジナルな内容なので、載る確率が高かったのかもしれません。

 

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パソコンの記事は、9記事ですが、3~4回、載った記憶があります。自分がパソコンで困った体験を書いたので、重複はほとんどありません。

 

パソコンの記事がスマートニュースに載る確率は、かなり高いです。それだけ人気があるカテゴリーなんでしょうね。

 

また、facebook(フェイスブック)やtwitter(ツイッター)での拡散も、スマートニュースに載る条件とのことです。

 

今後、スマートニュースのことも調べて、ある程度わかったら、報告します。

 

 

スマートニュースのPV増は一時的だ

 

PVが増えましたが、読者登録は1名しか増えませんでした。

 

悲しい(>д<;)。

 

原因は、パソコンに関する記事が9記事しかないので、せっかく訪れた人も、ふたたび訪問しようという気が起きなかったのでしょう。

 

逆に歴史の記事のPVが増えたときは、読者登録が増えました。これは記事数が多かったためではないかと思います。

 

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だから今後、パソコン関連の記事も増やしていきたいと思います。

 

また、私の場合、過去のスマートニュースのPV増は、すべて一時的でした。

 

スマートニュースに掲載され、PVが伸びても、何日かすると1日ひとケタ台のPV数にまで落ち込みます。

 

だから、スマートニュースでPVが増えたからといって、あまり喜ばないほうがいいですね。

 

 

ひとこと

 

最近、はてなブログの新着に載るとか、PVを増やしたいとか、あまり考えないで記事を更新していました。

 

いつか検索エンジンに引っかかって、PVが増えればいいや、と思っていたのです。

 

でも、PVが急に増えると、もっと増やしたい、という欲が出てきますね。

 

(●^U^●)