世の中には革新的な経営者は、たくさんいます。ソフトバンクの孫正義氏や三木谷 浩史氏などが有名ですね。
でも、一番、身近に感じるのは、セブンイレブンを創業した鈴木敏文氏です。
なぜならば、私はセブンイレブンで、よく買い物をするからです。マンガの立ち読みもします。
弁当やお茶、ビール、ATM、公共料金の支払いなど、本当、よく利用します。
とくに、トイレが我慢できないときにコンビニを見つけると、神様に出会ったような気持ちになります\(^ ^)/
もし、日本にコンビニがなかったら、日常生活はもっと不便だったことでしょう。24時間営業で近所にあるコンビニは、ありがたい存在です。
そして、日本のコンビニ業界を牽引する、セブンイレブン創業時の話が、とても興味深いです。
仕組みをつくるのに苦労した
セブンイレブンは、1974年に東京の江東区豊洲に1号店をオープンさせました。
しかし、同社初のコンビニを出店すると、問題が発生します。
商品を納入するために、1日に数十台の配送車が店にきます。店員さんは納品業務で忙しくなり、店の前には配送車が何台も停車します。
スーパーと違い、コンビニは店舗面積が狭いので、倉庫がほとんどありません。
小スペースのため、卸元からロット単位ではなく、小単位で配送してもらう必要がありました。そして品揃えのために、いくつかのメーカーの商品を取り扱わないといけません。
そのため、配送車が何台も納品にきてしまうのです。
それを改善するため、卸元と交渉して、いくつかのメーカー品も一緒に配送するよう説得しました。最初は抵抗されましたが、最後には応じてくれたのです。
卸元が小分け配送に応じたのは、セブンイレブンがドミナント戦略を実行したからです。
ドミナント戦略とは、特定の地域に集中して出店させていくことです。当初は東京の江東区内だけに出店しました。
これによって、配送効率がよくなり、小分け配送が可能となったのです。
このほかPOSを使用しての販売データー管理など、革新的な仕組みをつくりあげていきます。
表面には見えない優れたシステムによって、コンビニが運営されているわけですね。
織田信長も仕組をつくるのに苦労した
織田信長は、尾張の小さな大名であったころ、「兵農分離」と「楽市楽座」の仕組みをつくります。
当時、戦になると農民が徴兵されていました。なので、農繁期は戦は行われず、農閑散期に行われていました。
「兵農分離」することで、農民ではない専業の兵士を組織することが可能になりました。
信長の専業兵士は、農繁期に敵国を攻められるようになります。農作業で忙しい敵国は、たまったものではありませんでした。
その他、様々に「兵農分離」の利点が発揮され、信長は領土を拡大していきます。
そして、農作業をやらない専業兵士を養うために、「楽市楽座」で資金を稼ぎました。
この時代、商売をするときに「座」という組織に入っていないと、許可されません。勝手に商売をすると、袋叩きにされたり、命さえ奪われます。
「座」の主である寺社から信長は、その特権を奪い、誰でも自由に商売ができるようにしました。
そこからの税が信長の収入となり、専業兵士を養うための財源となったのです。
仕組みをつくる途上、大きな困難があった「兵農分離」と「楽市楽座」ですが、この二つ基本政策が両輪のように生かされ、他の戦国大名を圧倒します。
ひとこと
人々が思いつかないようなことを考え、実行し結果を出す点で、セブンイレブンの創業者と織田信長が似ている気がしました。
両者とも、とても便利なものを創るのが得意ですね(●´▽`●)