ブログ記事の更新を5~6日も休むと、脳みそが「ブログお休みモード」になります。
更新するのが面倒くさい!・・・・という感じになってくるのです。
だから少し肩の力を抜き、日常のことも書きたいと思いました。
でも、私の日常生活はワンパターンです。仕事も法人がお客さんなので、ブログ向きではありません。
しかたがないので、私の家の裏でフンをする黒猫のことを書きます。
この夏は、家の後ろの窓を開けると、とても猫のフンが臭かったです。雨が多かったので、湿気が原因だと思いました。
どこからやってきたのか、近所の黒猫が家の裏で昼寝をしたり、用を足したりするのです。
猫を追い払うため、薬局で猫を近づけなくする薬を買い、家の裏に散布しました。
また、黒猫を見つけると、家の壁を叩いて脅かしてやりました。
その甲斐あって、黒猫は、最近やってこなくなりました。めでたし、めでたし、です(⌒o⌒)
しかし、心配なことがあります。
猫がやってこないと鼠が増えてしまうのではないか、ということです。
だから、黒猫をイジメすぎたことに、少し不安を感じています。
猫は米と一緒に中東からやってきたのか?
現在では、家猫はどこにでもいますが、昔から日本にいたわけではありません。
エジプトやヨーロッパからつれてこられた、といわれています。
また、DNAの解析結果では、中東から猫がやってきた説もあります。
米英独等の国際チームによる2007年6月29日の『サイエンス』誌(電子版)への発表では、世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAの解析結果により、イエネコの祖先は約13万1000年前(更新世末期〈アレレード期(英語版)〉)に中東の砂漠などに生息していた亜種リビアヤマネコであることが判明した。
参照元:ネコ-ウィキペディア
そして、中東の砂漠からシルクロードを通り、中国や朝鮮を経由して日本へ猫がつれてこられた、とも考えらています。
なぜならば、米(稲)も中東から中国や朝鮮を経由して、日本へとわたってきたからで
す。
つまり、鼠の被害を防ぐために、猫も米と一緒につれてこられたようです。
だから、猫は人間にとって、たいへん重要な動物なのです。少しくらいフンが臭いからと、イジメてはいけない、と思いました。
西方の農耕民が中国に定住して、遊牧民は北方に住んだ?
中国で最初に農耕を行った集団は、西方(中東あたり)からやってきた農耕民族といわれています。
このことは、様々な遺跡の調査によって確かめられています。
遺跡で見つかった種の化石の西瓜(すいか)や胡麻(ごま)は、アフリカが原産です。
そのほか西方から、わたってきた農産物や器などが、多数、発掘されているそうです。
一方、西方の遊牧民は、中国の北方に移り住んだといわれております。
もちろん、元から住んでいた民族と争ったり、同化したりして、より大きな集団を形成したことでしょう。
そして、遊牧民には馬と犬が必要でしたが、農耕民には猫が欠かせない存在だったのです。
現代でも鼠をとってくれる猫は、大事にして可愛がらないといけませんね(*゜▽゜)
ひとこと
日常のことを書こうと思ったら、「猫と米の歴史」の話になってしまいました。
脳みそが「ブログ書くぞモード」になってきているのかも(●´∀`●)