ジンギスカン店が増加中です。
羊肉と野菜を鍋で焼いて食べるジンギスカン料理の人気が
じわじわブームになってきています。
私も以前はよくジンギスカン料理を食べました。
羊肉の独特の味が好きでした。
ジンギスカンといえば、世界の大半を制覇した大帝国の基盤を
築き上げた英雄です。
羊肉を食べながら、なぜジンギスカンの軍はあれほど強かったのか、
と不思議に思ったことがあります。
ジンギスカン(1162年~1227年)はモンゴル人です。
中国北方・モンゴル高原の騎馬民族(遊牧民族)です。
中国北方では、古代からいろいろな騎馬民族が興亡を繰り返していました。
国名をあげると、丁霊、フン族、匈奴、回鶻、鉄勒、突厥、烏桓、柔然、東胡、
鮮卑、契丹、室韋、月氏、靺鞨、女真族、フン族、タタール、モンゴルなど
多くの国や部族が興ったり滅びたりしていました。
それなのにモンゴルの軍だけが突出して強かったのは、どうしてでしょうか?
騎馬民族の機動力を捨てなかったから強かった?
周知のとおりモンゴル人は、羊肉をたくさん食べます。
モンゴル人といえば、大草原での羊の放牧(遊牧)が頭に浮かんできます。
羊以外には、駱駝(らくだ)や山羊、馬、牛などを飼っていましたが、
移動や搾乳用に利用されていて、滅多に肉として食べたりしてませんでした。
戦用に、牛を干し肉して食べたりはしていました。
ここで注目なのが、豚です。豚は飼っていなかったのです。
おそらく豚を飼っていると、移動に不便だから飼っていなかったのでしょう。
多数の羊を養うためには、羊の餌である草を求めて、
常に移動する必要があります。
そのため、移動に不向きで、丸々と太った豚は飼わなかったわけです。
この騎馬民族の持つ、移動に便利な生活方式が、
戦になると抜群の機動力に変化して、強力な武器となります。
モンゴル以外の騎馬民族では、
中国をまねて土地に定着した国(部族)もありました。
それが原因で機動力を失い、
軍としての強さも失ってしまった国(部族)もあります。
農耕民族は騎馬民族になかなか勝てなかった!
一方、農耕民族は土地に定着しているため、機動力が弱いです。
騎馬民族に襲われると、ひとたまりもありませんでした。
中国大陸の農耕民族は、北方の騎馬民族を追い払おうとしても、
常に移動して生活している騎馬民族を、見つけ出すことさえ困難でした。
(注:漢の武帝のときは騎馬民族の匈奴を敗走させたことがある)
そのため、万里の長城を築いて騎馬民族の侵入を防ごうとしたのです。
騎馬民族は、大寒波などで草原の草が少なく
羊を多く養えなくなったときなど、中国の農耕地帯を襲い、
食料を略奪していました。
そのときは豚肉も奪って、食べていたかもしれません。
もちろん、モンゴル軍の強さは機動力以外の要因もあります。
しかし、ジンギスカンは中国化することを極力避け、
住居も移動式のゲル(家屋)に住み続け、
衣食住など伝統的な騎馬民族の生活方式を守り続けました。
それがモンゴル軍の強さの大きな要因になったことは間違いありません。
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ひとこと
「世界を創った男 チンギス・ハン」(堺屋太一)は、
チンギス・ハンの幼少から世界帝国の基盤を築くまでの波乱の生涯が
描かれています。
騎馬民族の古いしきたりを廃止します。
そして、イノベーショナルな改革で、
他の部族を圧倒してモンゴル高原の騎馬民族(遊牧民)を統一します。
その後、モンゴルの周辺国を圧倒的な軍事力で征服し続けます。
世界初の不換紙幣(銀や金と交換できない通貨)は、
チンギス・ハンの家臣が創ったことも描かれており、
読みどころ満載ですo(*⌒―⌒*)o