みずおのアレコレ話

健康と歴史の本の読書が好きです。仕事の合い間に小説も執筆中です。完成が楽しみです!

古墳時代についての歴史は、大部分が消失されたのか?

 

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古墳時代は、どんな時代だったのでしょうか。前方後円墳や埴輪がたくさん作られ、のんびりしたイメージがあります。

 

しかし、古墳時代は戦乱が非常に多かったと、あるテレビ番組で解説していました。激しい戦乱のため、当時の書物の多くが焼かれ、歴史資料がほとんど残っていないとのこと。

 

なので古墳時代の歴史は謎が多いそうです。

 

番組名は忘れましたが、このテレビ番組の説明はウソくさいです。戦国時代もメチャクチャ戦が多かったのに、かなり歴史資料が残っているではないですか!

 

「おんな城主 直虎」のような小さな豪族でも、NHK大河ドラマで放映されるほど歴史資料が残っているのです。

 

やはりウソくさい!

 

 

歴史とは、ほとんど勝者が記録した歴史である

 

古代の歴史記録も、勝者によって都合よく改ざんされた可能性があります。都合の悪いことが書かれた書物は、焼かれたりしていたかもしれません。

 

では、そんな自分勝手なことをした「勝者」とは誰でしょうか。

この本に書かれていました・・・・

 

 

 

藤原氏です。藤原氏が古代の歴史を改ざんして、自分たちが権力を握り栄華を極めようとした、とあります。

 

藤原氏の祖である中臣鎌足(藤原鎌足)は、謎だらけの人物です。

 

この本の中では、中臣鎌足は古代朝鮮半島・百済の王子、扶余豊璋ではないか、と推測されています。扶余豊璋は、日本に子供のころから人質として住んでいたので、日本語はペラペラです。

 

白村江の戦いの後、日本にもどり中臣鎌足と名を変え、天智天皇の側近として活躍したとのこと。

 

後に中臣鎌足は、藤原氏の姓を天智天皇から授けられます。鎌足の息子である藤原不比等は、天皇の外戚になろうと暗躍します。

 

 

権力を握るため歴史を改ざんしたのか?

 

藤原不比等は、娘の宮子を文武天皇の妃として嫁がせました。宮子の生んだ男の子が、後の聖武天皇である首(おびと)皇子です。

 

不比等は、これで天皇の祖父なれると、大喜びしました。実際にそうなりました。

 

しかし、宮子の子を天皇にするためには、藤原氏の祖先が百済の王族ということを隠しておかねばなりません。

 

そうでなければ、百済王族の子孫を理由に、敵対勢力から激しい攻撃を受けます。首皇子を天皇にすることが難しくなります。

 

そこで、藤原氏が百済の王族の末裔であることを隠すため、当時の本当の歴史資料を燃やしたり、改ざんした、とも言われているのです。

 

これが古墳時代の歴史資料が少ない理由のひとつなのかも・・・・?

 

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平安時代初期には、ほとんどのそれら歴史資料が焼き払われたそうです。

 

また、敵対する新羅に対しても、朝鮮半島で敗北した百済王族の末裔であることを隠したかったのかもしれません。

 

中臣鎌足が本当に百済王族の末裔なのかどうか、明確な証拠はありませんが、そのように考えるとすごく面白いです\(^○^)/

 

 

ひとこと

 

歴史の改ざんが事実だとしたら、褒められたことではありませんが、それによって国の体制を固めることができ、新しい日本が生まれたのかもしれませんね。

(○●^▽^●○)