12月といえば「忠臣蔵」というほどドラマや芝居で、
この時代劇が演じられます。
私は子供のときから何回も「忠臣蔵」のドラマや小説、マンガを見ているので、
いまは興味がありません。
それよりも忠臣蔵の「忠」に興味を覚えます。武士の忠義のことです。
47名の赤穂浪士は、なぜ、主君のために自分の命を投げ捨てて、
仇討ち(かたきうち)をしたのか不思議です。
赤穂浪士47名は、仇討ちが成功した後、
全員、切腹させられているからです。
もし、私が赤穂浪士の一員であったら、病気のふりをしてでも、
絶対、逃げます。┏( ・_・)┛
47名の赤穂浪士は、いろいろな事情があって仇討に加わったのでしょう?
いずれにしろ赤穂浪士は、主君の仇を討ち、忠義を立てたわけです。
江戸時代の武士の忠義は、朱子学の影響を受けた?
戦国時代にも武士の忠義はありましたが、
君臣関係は、どちらかというと後の江戸時代と違いドライな感じでした。
弱そうな主君と思えば裏切ったり、
他の強そうな主君に簡単に乗換えたりしてました。
現代風にいうと、
「あの会社は給料がいいな。うちの会社ダメだから、転職しよう!」
という感じですね。
しかし、徳川家康が天下統一すると、平和を維持するために、
儒学のひとつである「朱子学」を、徳川幕府は世に広めました。
道徳や礼儀によって戦の無い平和な世をつくるため「朱子学」を
武士階級に学ぶよう奨励しました。
江戸時代の主君への忠義は、朱子学による影響が大きいのです。
朱子学のおかげなのかどうか分かりませんが、
約256年間、江戸時代は戦のない社会を保つことができました。
でも、農民一揆は多かったようです。
幕末、江戸に儒学(朱子学)の塾が増えた
朱子学のおかげで徳川幕府の安泰が保られていたかのようでしたが、
幕末に近づくと、朱子学が徳川幕府の土台を揺るがす原因の一つになりました。
朱子学から影響を受けた「尊王攘夷」が
一部の武士階級の間で盛んに唱えられるようになりました。
尊皇攘夷とは王(天皇)を尊び、夷(外国)を斥けようとうする思想です。
江戸時代は徳川幕府が政権を担っていましたが、
天皇に政権を返して、外国を排斥しようという気運が広がりました。
米経済と貨幣経済の矛盾などで、武士階級の生活が苦しかったことが、
「尊王攘夷」を盛んにさせたともいわれています。
剣豪で知られる千葉周作も朱子学を学んでいました。
千葉周作の道場・玄武館は、神田お玉ヶ池にありました。
現在の東京都千代田区岩本町2丁目あたりで、JR秋葉原駅にも近いです。
千葉周作の親友で儒学者の東条一堂は、
玄武館の隣に儒学の塾「瑶地塾」を開きました。
当時、千葉周作の道場・玄武館は、江戸で一番の人気があり、
門弟の数3,600余人ともいわれています。
東条一堂は、その玄武館の隣に塾を開けば、
自分の門弟も増えるだろうと見込んだのです。
狙いはあたりました。
儒学の塾「瑶地塾」も多くの門弟が入門してきました。
それをマネした他の儒学の塾が玄武館と瑶地塾の近くに、
どんどん増えました。
すると儒学などの本の需要が増えます。本屋さんもどんどん増えました。
その場所が現在の東京都神田人保町の古書店街です。
世界でも最大規模といわれています。
なぜ、こんなに本屋さん多いのか、と不思議に思っていましたが、
いろいろな歴史の絡みがあったんですね(*^-^*)
ひとこと
古書店街には、安くて美味しいトンカツ屋や天麩羅屋が
たくさんあります。
以前から古書店街にはよく行きますが、
最近は、読書よりも食べ歩きに励んでいます(●´▽`●)