戦国武将のなかでも、逃げながらウンコをもらしたのは徳川家康ぐらいなものでしょう。
「三方ヶ原の戦い」で武田信玄の軍に大敗して、逃走中に馬に乗りながら脱糞してしまったのです。それほどの恐怖だったのです。
家来に指摘された家康は、
「これは腰につけてた焼き味噌じゃ!」
と言い訳しましたが、においでバレました。
ずいぶん不名誉なエピソードをもつ家康ですが、それでも後に天下をとり、江戸時代265年間の礎を築いた英傑です。このときの経験が家康を大きく成長させました。
どうしてバレたのか?
でも、どうして、もらしたことがバレたのか不思議です。馬の鞍にウンコがあったのですが、袴(はかま)をはいているのに、どうしてそうなったのか疑問が残ります。
そのため、このエピソードはウソだと思っていました。武田軍に負けた家康の怯えた状況を、面白おかしくするためにできた、作り話のような気がしていました。
しかし、ネットを何気なく見ていたら、その疑問は氷解しました。袴(はかま)に原因があったのです。
戦のときにはく袴は特殊なつくりだったのです。戦場で簡単に大小ができるように特別に工夫されていました。
その袴でしゃがむと股間の部分が左右に開くデザインになっていたのです。重い甲冑(かっちゅう)を着用したままでも大小ができます。
この袴なら、家康が馬の鞍の上にウンコを置き去りにできたことが、納得できます。
「空城の計」で武田軍を撃退
もらしたことがバレた後、冷静さを取り戻した家康は、家来にテキパキと指示します。このとき有名な「空城の計」で、武田軍を撃退しました。
城の門を開けっ放して、昼間のようにタイマツを燃やします。太鼓をドンドン叩いて、武田軍を威嚇するとともに徳川方の兵士を鼓舞させました。
この計が見事に成功して、武田軍は浜松城を攻めることなく引き上げていきました。逃げてきた家来も城内に収容することができました。
その後、家康は、武田軍に大敗北を喫したことを反省するために、憔悴した自分の肖像画を絵師に描かせました。
失敗を真摯に反省する姿勢が後に天下をとらせたと共感を呼び、多くの歴史書や経済誌などでも、「三方ヶ原の戦い」のエピソードを取り上げています。
ひとこと
戦国の戦でのトイレについては分かりましたが、寝泊りはどうしていたのか疑問が残ります。ドラマや漫画では、そこのところが詳しく描かれたものを見たことがありません。
ネットで調べたら、ほとんど野宿してたとあります。雨や雪の場合はどうしていたのでしょうか。寺や神社、村の家に泊まることもあったでしょうが、何万もの兵士の場合、とても足らないでしょう。
現在のようなテントもないでしょう。暇なときに調べてみます。
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