日本には、弥生時代から戦う兵士が存在しました。しかし、武士が生まれたのは、平安時代ごろからです。
そもそも兵士と武士の違いとは、何なのでしょうか。どちらも同じような感じがします。
まず字が違いますが、「兵」と「武」にどんな違いがあるのでしょうか?
兵士は、軍隊に属して敵と戦う者のことです。
武士も敵と戦う点では同じですが、主に反乱を収めるために戦うという説があります。
「武」は、「戈(力、ほこ)」と「止」を組み合わせた合意文字です。
「戈」とは、長棒の先にピッケル状の穂先がついた武器です。古代中国で使われていました。
武器である「戈」の中に「止」という文字が入って、争いを止める、という意味があるといわれています。
他にもいろいろな説がありますが、「兵士」と区別するためにつけられた呼び方であることは間違いありません。
兵士は身分の低い者が多かったので、天皇の子孫など身分の高い者が戦をする場合、「兵士」とか「兵」とか呼ぶわけにはいかず、「武士」と呼んだのかもしれません。
また、孔子が編纂した注釈書の一つと伝えられる「春秋左氏伝」の「戈を止める」から「武」の文字を解釈して、権威付けしたとも考えられます(^_^)
平氏と源氏が武士の始まりだった?
天皇の一族である皇族から臣籍降下(しんせきこうか)した平氏や源氏の中には、武士となった一族がいます。
桓武平氏と清和源氏です。この両氏は、反乱を鎮圧するために、坂東(関東)に下りました。しかし役目が終わった後も、坂東の地に居座る者もいました。
それらの武士団が国衙や荘園領主と結びついて、領地を増やし坂東で地盤を固めたのでした。平将門や、平清盛の祖先でもある平貞盛が有名です。
地元の農民も配下に入れて、坂東の武士団は次第に勢力を増していきます。
都の貴族は、武士は戦などの汚れ仕事をする集団として、見下していました。後に武士から政権が奪われるとは、夢にも思っていなかったのです。
農民も武士になった?
次第に、平氏と源氏の配下以外にも、武装していた農民も武士と呼ばれるようになりました。
武装した農民の中には、勝手に平氏や源氏の子孫であると自称する者が現われます。正確な戸籍簿のない時代でしたから、言ったもん勝ちでした。
つまり農民と武士を兼ねる者が増えていったのです。この武士たちは、都の貴族などに年貢を納めていました。
しかし、自分達が命がけで土地を守り、汗水たらして収穫した米を、貴族など権力者の言われるままに、年貢として払うことへの不満が高まっていきました。
その不満の高まりが、貴族が日本を支配する時代から、武士が支配する時代へと向かわせたのです。それが鎌倉幕府(1185年頃-1333年)の始まりです。
鎌倉幕府の滅亡後、室町幕府(1338年-1573年)、江戸幕府(1603年-1867年)が開かれ、明治維新まで武士の時代が続きました。
江戸時代は身分制度が整い、農民と武士を兼ねる者は、原則、いなくなりました。でも、「郷士」といわれる農民と武士を兼ねる身分も存在していたのです。
この郷士の中から幕末、明治維新で活躍した人材が多くあらわれました。
ひとこと
お隣の朝鮮半島では、高麗時代に武臣政権(1170年-1270年)という武人が支配する時代がありました。
ちょうど日本の武士政権・鎌倉幕府と同じような時代です。
日本のように武士(軍人)が支配する政権が長期に続いた国は、世界の中でも珍しいそうです。
そのせいなのか、日本の武士は、海外から人気がありますね(●^д^●)