北朝鮮の核とミサイルの騒ぎが収まりません。いつまで続くのでしょうか?
でも、永遠にこの騒動が続くわけがありません。必ず終わりがやってきます。
ホント、早く終わってほしいですね(´Д`;)
北朝鮮は共産主義なのに世襲制
北朝鮮は共産主義を掲げているのに、世襲制です。昔の王朝と同じ制度です。
現代、先進国で世襲制の国などありません(たぶん?)。これは、世襲制が国家の体制として不適切、あるいは遅れた体制であることを物語っています。
世襲制でない国が、世襲制の国に勝利してきた歴史が、そのことを証明しています。
ところが「核」によって、その構図がくずれてしまいました。現代では、核保有国への攻撃は、反撃された場合、極めて危険です。
それをいいことに北朝鮮は、やりたい放題です(`O´*)
しかし、世襲制で独裁、貧困、食糧難、過酷な刑罰、脱北者など、北朝鮮は内部崩壊の危険性をはらんでいる可能性も否めません。
また、過去の中国や朝鮮の王朝が崩壊した原因も、世襲制や体制の欠陥によるところから始まっています。
現在の北朝鮮とも重なる部分もあるので、過去の王朝の崩壊劇は、なかなか興味深いです。
秦帝国は、なぜ短命たったのか?
秦(しん、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国初の統一王朝です。
秦は中国を統一して、秦朝(紀元前221年 - 紀元前206年)を興しました。秦王の政は、王から皇帝と名を改めます。
最初の皇帝なので、始皇帝と諡号(しごう)されました。
しかし、わずか15年で滅亡します。滅亡の原因は、いくつかありますが、とくに世襲の失敗が際立っています。
始皇帝は、後継者の皇太子を、自分が逝去する間際まで公表しませんでした。
病気が重くなり、死期を悟った始皇帝は、始皇帝の長子・扶蘇を後継者とする遺詔(ゆいしょう)を残しました。
しかし始皇帝の死後、その遺詔は守られません。側近である趙高の策略よって、末子の胡亥が、二世皇帝に擁立されて、即位しました。
二世皇帝は、趙高の操り人形となり、秦朝の国家体制は乱れ、その結果、15年の短命王朝となったのです。
権力の分裂を恐れ、皇太子の擁立が遅れた
皇太子を早めに決めておけば、よかったのではないか、と思いがちです。
しかし、早い時期に皇太子を擁立すると、権力が分裂する恐れがあります。
皇太子は、当然、皇帝よりも歳が若いので、長く生きます。重臣は、現在の皇帝が亡くなった後のことを心配して、皇太子に近づくようになります。
皇太子が幼い場合は、母親の皇后に近づくことが多いです。
すると場合によっては皇后を含めた、その外戚が力を持ち、皇帝の権力が衰える可能性があります。
実際、中国を統一する以前の秦国にも、王様の重臣や外戚が実権を握った前例があります。
それを心配した始皇帝は、死ぬ寸前まで皇太子を公表しなかったのです。
また、側近で宦官の趙高を、あまりにも信用しすぎたのも、失敗の一因といえましょう。
その後の王朝では、この始皇帝の失敗を教訓としました。
皇帝の崩御の寸前に公表していない場合でも、皇太子を記した文書を、複数の側近や重臣に内密に渡したりしていたのです。
ひとこと
北朝鮮は金正恩で3代目ですが、4代目はどうなるのでしょうかね(*´д`)??