西郷隆盛と大久保利通は、明治維新の元勲であり、長州の木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される英傑です。
薩摩藩の第11代藩主である島津斉彬は、その二人の主君であり師でもあります。
島津斉彬は、あまり有名ではありませんが、頭が二つある、といわれたほど聡明な人物です。
幕末、斉彬は、日本で初めての蒸気船・雲行丸(うんこうまる)を建造しました。
その他、溶鉱炉・反射炉の建設、水雷・地雷・ガス灯・ガラスなどを製造しました。西洋の工業技術を積極的に取り入れていたのです。
後にイギリスの海軍が薩摩を攻めたとき、これを薩摩藩は見事に撃退しています。
当時、世界最強といわれたイギリス海軍を敗退させるほど、薩摩藩の工業技術とともに兵器の水準も高かったのです。
富国強兵に尽力した島津斉彬の功績ともいえるでしょう。
そして、西郷隆盛と大久保利通という維新で活躍した弟子も育てたのです。
西郷隆盛はカリスマ性と統率力があった
西郷隆盛は、たいへん人間的な魅力にあふれて人物で、カリスマ性がありました。
薩長連合や江戸無血開城など、西郷の統率力がなけれ成し得なかったといわれています。
江戸へ進軍中、官軍の駐留する駿府を訪れた山岡鉄舟と会談して、江戸無血開城を受け入れました。
降伏の条件で、山岡鉄舟から強い要求があり、官軍内でも激しく意見が分かれました。しかし、最後には西郷が官軍の意見をまとめ、鉄舟の要求を受け入れたのです。
また、軍事の天才と称される大村益次郎を、官軍全体の司令官に任命したのは西郷でした。
大村益次郎は、誰に対しても遠慮がなく、たいへん無礼な言葉を吐く癖がありました。気性の激しい薩摩の将校に対しても、その態度は変わらず、恨みを買っていました。
「大村を司令官にするな!」との意見も多かったのです。
しかし、西郷が大村の軍事的才能の必要性を説き、官軍司令官として大村を認めさせました。
官軍内で意見が割れても、西郷の統率力によって一致団結することができたのです。
西郷のカリスマ性は偉大でした。
大久保利通は近代国家の基礎を築いた
幕末のころ、イギリスでは産業革命によって経済が発展していました。しかし、経済を市場原理に任せていたため、製品の粗悪品や偽物が出回ったり、詐欺などが横行していました。
それを反面教師にしたドイツは、経済を市場原理に任せるのではなく、国家が任命した官僚が管理する体制を整えていたのです。
近代国家を目指す日本にとって、ドイツの官僚主導体制を取り入れるべきだと大久保利通は考え、実行しました。
また、武士の身分制度があっては、近代国家の構築は不可能と考え、武士身分を剥奪させ、徴兵制を導入しました。
この新制度に不満を持つ武士の反乱が相次ぎました。西南戦争では西郷が反乱軍の大将となり、大久保は盟友の命を奪うことになりました。
後に紀尾井坂で大久保は、不平士族6名によって暗殺されます。
西郷隆盛と大久保利通は、ともに日本の近代化のために戦ったのですが、いまでも西郷は人気があり、大久保は人気がありません。
でも、いつの時代も嫌われ役もいないと、組織や国は良い方向にすすみませんね。
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ひとこと
西郷隆盛と大久保利通の陽と陰のキャラクターによって、薩摩藩は維新で大きな力を発揮したといえるでしょう。
また、その二人の弟子を育てた島津斉彬の功績も偉大ですね(●´I`●)