みずおのアレコレ話

健康と歴史の本の読書が好きです。仕事の合い間に小説も執筆中です。完成が楽しみです!

大阪城は二度、落城した?

 

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大阪城は二度、落城しています。今日、落城して城が焼かれました。これは、もちろんテレビ(NHK大河ドラマ・真田丸)での話で、実際に落城したのは戦国時代末期です。一度目の負けです。

 

二度目は幕末です。最後の将軍・徳川慶喜が兵卒とともに大阪城にたてこもりましたが、負けました。徳川慶喜が兵卒に内緒で大阪城を脱出して、江戸に逃げてしまったのです。後に残された兵卒はビックリ仰天でした。

 

因果応報といいますが、本当、そのとおりです。初代の徳川将軍・家康が一度目に大阪城を落とし、最後の15代将軍・慶喜が戦いを放棄して大阪城を落城させたのです。そして、大阪城の落城とともに徳川幕府の瓦解が急速にすすみます。

 

徳川慶喜は「家康の再来」とまで言われた人です。そんな人物が家康と逆のことをやってしまうところが、とても面白です。

 

 

錦の御旗と大砲を恐れたのか?

 

徳川慶喜と兵卒が大阪城に入る前に、鳥羽伏見の戦いがありました。戦の最中に官軍が「錦の御旗」を掲げると、形勢は徳川幕府側が不利になりました。官軍の錦の御旗によって、徳川幕府は賊軍とされてしまったからです。幕府側の各藩の兵も動揺しました。

 

徳川慶喜が生まれた水戸藩は、「尊王攘夷」の元祖ともいえる存在です。慶喜も尊王攘夷の信奉者です。だから、「尊王」のシンボルみたいな「錦の御旗」を掲げた官軍に、抵抗する気力が失せてしまったともいわれています。

 

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それと、城にこもっての戦も時代遅れになりつつありました。この時代、炸裂弾を使用した大砲が威力を発揮し、どんなに深くて幅の広い堀でも、やすやすと大砲の弾が超えていけます。戦国時代の鉄の塊の弾とは違い、爆発する弾なので、城は破壊されるばかりです。堀も城壁も役にたたないのです。

 

大阪城以外の攻城戦でも、官軍は大砲で次々と城を落としていきました。

 

 

五稜郭は死角のない城

 

北海道函館の五稜郭は、五角形の形をした城です。城から砲撃した場合、死角がないように大砲を配置できます。しかし、五稜郭の大砲よりも射程距離が長い軍艦からの艦砲射撃には適わず、甚大な被害を受けました。これが切っ掛けで旧幕府軍の残党は敗北を早めました。

 

日本の城は独特で複雑な形をしています。しかし、大砲を配置した場合、死角だらけです。五稜郭のように死角のない城でも、軍艦などの格好の的となってしまうのです。幕末は城で戦う時代でなくなっていたのです。

 

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おそらく、大砲で滅多打ちになるのを恐れていたことも、徳川慶喜が大阪城から遁走した理由の一つかもしれません。

 

 

ひとこと

 

徳川慶喜は、後に明治維新の功労者として職位を授かります。江戸無血開城など、官軍にあまり抵抗しなかったところが評価されたみたいです。

 

大阪城から脱出したのも正解だったのかもしれませんね(●^皿^●)