みずおのアレコレ話

健康と歴史の本の読書が好きです。仕事の合い間に小説も執筆中です。完成が楽しみです!

江戸の武士はアルバイトをしていた!江戸時代に?

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最近、テレビで時代劇が少なくなりましたね。

時代劇は制作費がかさむから控えているのでしょうか。

それとも単に人気がないからでしょうか?

 

以前、テレビで江戸時代のドラマを見ていたら、

お侍さんが傘を張るアルバイトをしていました。

また、寺子屋で武士が講師のバイトをしているシーンがありました。

 

上級の武士はともかく、下級のほうの武士だと幕府からの

給料(俸禄)だけでは生活が苦しかったみたいです。

 

最下級の武士の給料は「三両一人扶持」でした。

一両は現代のお金に換算すると10万円ぐらいです。

三両で合計30万円ほどです。

 

一人扶持とは、米俵が五俵で現代のお金に換算すると

一俵が1万5千円ほどなので、合計7万5千円ほどです。

 

つまり、年収40万円弱が最下級武士の年収だったのです。

 

さすがに年収40万円弱では、生活できないですね。

だから、内職や副業をしていたわけです。

 

 

江戸の町民は意外と裕福だった?

 

「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」という落語があります。

江戸っ子は収入があると、その日のうちに使ってしまうのが

「男の粋」と考えていました。

 

現代のように銀行のようなお金を預けるところがなかったから、

泥棒に盗まれる前に使ってしまえ、という考えもあったそうです。

 

でも、江戸時代の後期には互助会や信用組合みたいなものは

あったようです。

 

病気などで仕事ができなくなり、収入が途絶えても

互助会みたいなところから面倒をみてもらえたとか。

 

また、町民の多くが長屋に住んでいましたが、

家賃がすごく安かったのです。

 

江戸の景気はミニバブルが続いている状態でもありました。

人口が常に増え続けていたので、自然、景気が上向き加減にありました。

 

おまけに大名行列が全国からやってきて江戸の町にお金を落として

いきます。

 

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「江戸の花」といわれるくらい火事が多かったので、

建築関係の仕事は常に忙しかったのです。

仕事がたくさんあるから、地方から江戸に人が流れてくるわけですね。

 

「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」となったのも、

それだけ景気がよかったということでしょう。

 

武士とは逆だったんですね?

 

 

米と銭の二つの通貨があった?

 

武士の景気が悪くなって商人や町人の景気がよくなった原因は

いろいろあるようです。

 

武士の場合、本来の仕事である戦がなくなりました。

本業の戦仕事がないのだから、リストラしたり、

減給しなければ経営者(幕府や大名)はやっていけません。

 

だから、武士の収入が減ったといえます。

 

さらに、米で給料が支払われていたというのも、

大きな原因です。

 

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米は生活必需品なので、流動性(使い道)が非常にあります。

そのためお金のような役割が果たせます。

 

しかし、江戸時代に貨幣経済が発達してくると、

米はお金として、いろいろ不便だったようです。

 

豊作の年や不作の年があったりして、

米の価値がその年によってやたらと変化します。

 

商人に米を買い占められて価格を操作されたりもします。

 

つまり、米はお金として信用が低くなってしまったようです。

 

その米を給料でもらっていた武士は、米のインフレの害を受けたとも

いえるかもしれません。

 

逆に銭で給料をもらっていた町人は、江戸ミニバブルの恩恵を受けて

いたようです。

 

 

ひとこと

 

江戸時代の長屋の家賃が安かった理由のひとつに

トイレがあります。

 

江戸周辺の農家が長屋のトイレに落とされた「肥料の原料」

高値で買っていたのです。

 

その利益は、すべて大家さんのものになります。

大家さんも、その分、家賃を安く抑えることができたのです。

 

すばらしい江戸のリサイクルですね?・・・・(^^*)