「孫子の兵法」は、紀元前500年前に著された中国の古典です。古代中国で戦争に勝つための方法が書かれています。
大昔の戦争ノウハウですが、現在でも著名人や企業、軍事テキストとして、世界的に活用されています。
中国の古代につくられたノウハウが現代でも通用するのは、「方法論」ではなく「原則論」が中心に構成されているからだと言われています。
孫子の兵法と並び称される「呉子の兵法書」がありますが、こちらは方法論が多いため、現代の戦争や企業経営に応用しにくいと評されています。
孫子の兵法とは、時代がいくら変わっても、絶対に変わらない普遍的な「原則論」と言えましょう。
しかし、なぜ中国で失われることなく、この優れた兵法書が現代まで伝わることができたのでしょうか?
また、同じような書物が、中東や西洋、他の地域に存在しなかったのでしょうか?
中華文明が優れた古典を現代まで伝えた
中国は、「中国4千年の歴史」と言われるとおり、たいへん歴史が古く、すぐれた文明を築いた国です。
戦闘力に優れた北方の騎馬民族に支配されたことはありますが、文明まで破壊されたことはほとんどありません。
逆に、文明で劣る騎馬民族の王朝は、中華文明を尊重しました。そのため騎馬民族王朝は、漢民族化することが多かったのです。
騎馬民族は、中国の広大な領土を支配しましたが、文明・文化では中華文明に支配されたと言えましょう。
中東や西洋のような一神教の国々は、比較的、征服した国をことごとく破壊することが多いです。
キリスト教の国とイスラム教の国が、敵対国を征服したときは、徹底しています。同じ宗教でも宗派間での激しい争いも絶えませんでした。
当然、文明や文化の破壊もおこなわれました。
ところが中国大陸では、中華文明のある程度の破壊はあったものの、大きく損なわれることもなく受け継がれたのでした。
孫子の兵法だけでなく、儒教などの宋学なども受け継がれていきました。
抽象的な原則論は、わかりにくい
優れた兵法書であり経営書といわれている「孫子」ですが、重宝された時期や忘れ去られたこともありました。
「孫子」は原則論が中心なので、抽象的で理解しにくいからだと言われています。ただ表面的に読んでみると、あたり前のことばかり書かれている印象を受けます。
日本では、日露戦争のときは「孫子」がよく読まれ、太平洋戦争のときは「孫子」が軽視されたと言われています。
ベトナム戦争のときアメリカは、「孫子」を無視したような力攻めの結果、南ベトナム軍に勝つことができませんでした。
逆に南ベトナム軍は、「孫子の兵法」を研究して、アメリカ軍を追い払うことに成功したそうです。
過去の戦争の勝敗は、「孫子の兵法」から原因をある程度、分析することができるため、現代では軍事テキストとして、「孫子」が読まれています。
また、戦争以外の分野でも、世界中で重宝されている書物でもあります(o゚▽゚)
ひとこと
孫子の有名な一説で、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」があります。
この「彼」とは、もともと敵を意味していました。
現代では、経営や競技のライバル、新規事業、初対面の人、新たな恋人など、いろいろなものに置き換えられて解説している書籍が増えてきました。
孫子は、より具体的でわかりやすくなってきたようです(●^□^●)