もし、日本一の転職成功者を選ぶとしたら、誰でしょうか?とくに基準があるわけではないので、とても難しいです。
でも、戦国時代は、豊臣秀吉が日本一の転職成功者、と言っても過言ではないでしょう。
なにしろ農民から天下人になったのですから、まぎれもない日本一です。
それでも秀吉は、すんなりと転職を成功させたわけではありません。
何回か奉公先(就職先)を点々としました。
しかし、転職先で味わった苦い体験を生かし、織田信長の家臣として秀吉は、最大限に力を発揮して、やがて天下人になったのです。
織田ではなく、今川を選んだ
秀吉は、尾張・中村の百姓の子として生まれました。
ところが秀吉は、農作業が大嫌いでした。また、義父の竹阿弥と仲が悪く、ある日、突然、家を飛び出してしまったのです。
「俺も、いつか出世してやる!」という野心を抱きながら、武家へ仕えることを考えました。
高い年貢を武士から搾り取られる百姓は、まっぴらだったのです。
最初、地元・尾張の武家へ奉公しようと考えましたが、やめました。
尾張は、守護代の織田家や家老の織田家などが互いに争い、とても不安定な状態だったからです。
また、織田の苗字が多く、いったい、どの織田同士が味方で、どの織田同士が敵なのか、とてもわかりにくかったのです。
これでは、せっかく奉公しても争いに巻き込まれて、命を失うおそれがあります。
そこで秀吉は、尾張の織田氏より、比較的、国内が安定してみえる隣国の今川家で働くことにしました。
古参の同僚に、イジメられた秀吉
今川氏の家臣・松下加部兵衛に、秀吉は仕えました。
野心家の秀吉は、猛烈に仕事に打ち込みます。その甲斐あって、主人の松下加部兵衛に気に入られ、重要な役を任されるまでになりました。
ところが、まわりの古参の同僚達は、面白くありません。秀吉の出世を妬んだ同僚達は、秀吉をイジメまくります。
秀吉は反発しますが、同僚達のイジメやイヤがらせはエスカレートするばかりです。
家中が揉めるので、松下加部兵衛は悩みました。家中の争いを抑えるため、仕方なく加部兵衛は、秀吉を解雇します。
失業した秀吉は、針売りなどをして、生活費を得ながら、新しい奉公先を探しました。
織田信長に仕えた秀吉は、”気配り人間”になった
その後、織田信長に秀吉は仕えることができました。
尾張の織田家の中でも、織田信長は「うつけ」と呼ばれ、評判は最悪でした。普通なら、そんなところに奉公するはずがありません。
しかし、秀吉は信長の英邁さを見抜き、周囲の反対を押し切って、家臣となりました。
そして、松下加部兵衛に仕えたときの失敗を繰り返さないために、秀吉は同僚や先輩に、たいへん気を配ります。
同僚や先輩だけではありません。主君の信長はもちろんのこと、周囲のどんな人にも気を配る「気配り人間」になりました。
言葉を変えるならば、人の嫌がることはやらないようにして、人の喜ぶことを行うようにしたのです。
しかし、戦になると、敵に対しては逆になります。
敵の喜ぶことはやらないようにして、敵の嫌がることを行うようにしたのです。
運にも恵まれましたが、徹底した気配りや機転が功を奏し、秀吉は、やがて天下を掴むことができました。
つまり、日本一の転職成功者となったのです。
ひとこと
人の心を理解して、行動することが大事、ということですね(´‐秀吉‐`)