昨日、ブログ記事で「特上うな重」のことを書いたら、映画の男はつらいよ「フーテンの寅さん」を思い出しました。
主人公の寅さんの故郷である葛飾区柴又、帝釈天の門前商店街は、うなぎ料理でも有名だからです。
私も子供のころから両親につれられて、何度も柴又でうなぎを食べました。すごく美味しかったことを覚えています。
草団子もメチャクチャ好きでした。
奈良時代にも、「寅さん」と「さくら」が柴又に住んでいた?
奈良時代、柴又のあたりに「刀良(とら)」と「佐久良賣(さくらめ)」が住んでいた戸籍簿が、奈良の正倉院で発見されたことは、有名な話です。
また、寅さんに似た埴輪も葛飾区の柴又八幡神社境内の古墳から発見されています。
映画「男はつらいよ」の山田洋次監督は、そのことを知らずに「寅さん」と「さくら」というキャラクターをつくったとのことです。
まったくの偶然であり、山田監督自身も不思議な思いを抱いたそうです。
「・・・・略・・・・はるか昔、万葉の時代に生きていたトラさんという強烈な個性の持ち主が寅さんを主人公にした映画を作らせたのかも知れませんね。もしかして!」(寅さん記念館展示)
引用元:古代武蔵学事始め・「寅さん」と「さくら」 - 奈良時代にもいた?
上記の山田監督のコメントは、今年の春、私が「寅さん記念館」に行ったときも、その記念館で見ました。
男はつらいよ「フーテンの寅さん」がつくられた経緯は、偶然と偶然がやたらと重ねあってできた映画という感じです。
一見、偶然に見えることでも、なんか不思議な因縁があるみたいですね?
フーテンの寅さんみたいに旅をしていた奈良時代の男性?
奈良時代、柴又に住んでいた「刀良(とら)」と「佐久良賣(さくらめ)」は、行基や鑑真和上とほぼ同時代の人のようです。
奈良時代の律令制度は、庶民にとっては最悪の法律であり、過重な税負担を押しつけていました。
租・調・庸という税がありました。
租は米ですが、奈良の都まで農民が自分で届けなければなりません。柴又から奈良までは、たいへんな距離です。
フーテンの寅さんのように電車やバスに乗っていけるわけではありません。
また、男子は都で労役に就いたり、防人という兵士として働く義務もありました。命を落とす者も少なくありませんでした。
防人は、柴又も含まれる東国の関東あたりからの徴兵が多かったのです。
そして、庶民の生活はたいへん苦しく、逃亡者や勝手に僧になって税を逃れる人も大勢いたのです。
行基は、それらの民衆を助けるために働きました。鑑真和上は、税逃れの私度僧を防ぐために仏教の戒律を定めました。
映画「寅さん」と同じような別れのシーンが古代にもあったかも
そんな厳しい状況の日本で、世界に誇るべき古典「万葉集」という天皇、貴族、庶民、防人まで至る和歌集が詠まれていました。
万葉集の防人の歌の中に、妹のことを詠んでいるものがあります。この時代の妹とは、「いも」と読み、妹だけでなく妻や姉、恋人のことでもあります。
私にとって、映画「フーテンの寅さん」の中で印象深く、好きなシーンが、
「お兄ちゃん、行っちゃうの、行かないで・・・・」
の「さくら」が「寅さん」を見送るところです。
古代の柴又あたりでも、同じように妹(女性)が兄(男性)を見送るシーンがあったのではないかと、想像を巡らしてしまいました。
ひとこと
今年の春、休日に柴又に遊びに行ったとき、すごい人だかりで驚きました。
バスガイドが旗を持って大勢の人を案内していました。観光地としても有名なようです。
また、今年3月、柴又駅前に「さくら像」が建てられました。以前がらある「寅さん像」を見送る位置にあります。
「さくら像」よりも「寅さん像」と一緒に記念写真を撮る人が多かったです。
でも、私は「さくら」が好きなので、
「見送り、ごくろうさん」
と、やさしく「さくら像」の肩をなぜてやりました(●^U^●)