武田信玄は、戦国武将ランキング第5位ではありますが、昔から小説やドラマで人気がありました。
「また武田信玄か・・・」
と思うぐらいマンガや雑誌などで読んだ記憶があります。
武田信玄は、物語化しやすい人物だった?
現在では織田信長の小説やドラマは多いですが、以前は武田信玄のほうが人気があったようです。
しかし、上杉謙信を主人公にした小説やドラマは、昔も今も少ないです。理由は、上杉謙信という人物が真面目すぎて物語にしにくいからだそうです。
武将としては人気はありますが、物語を制作する側からは人気がないようです。
逆に武田信玄は、物語を制作する側の人から人気があるようです。人をだましたり裏切ったりする起伏に富んだ生き方が、物語として作りやすいそうです。
上杉謙信と比べると武田信玄は、かなり複雑な人生を送った感じがします。
自分の親を追放したり、長男の命を奪ったりしました。妹婿の諏訪頼重を謀略で殺害し、領土を奪ったりしました。
孫子の兵法に忠実だった武田信玄
風林火山の旗は、武田軍のシンボルとして有名です。古代中国・呉の兵法家が記した兵法書「孫子」の一説です。
孫子の一説を旗印にするぐらいですから、武田信玄は孫子兵法に傾倒していたことがわかります。
孫子の兵法では、戦に勝つための方法が記されています。ほとんどが原則論で方法論はわずかです。原則論が主なため、現在でも戦争やビジネスで通用する書として、世界中の著名人からも今でも愛読されています。
戦いのための書物ではありますが、戦とは所詮、国家運営の一部であり、できるだけ戦は避けるべきだと説かれています。
戦を行えば、膨大な費用と人命が損なわれます。可能な限り戦を避けるか、戦による損失を最小限に抑えることが大事なわけです。
そう考えると、一見、卑怯にみえる戦い方や上杉謙信に対する逃げ腰の姿勢も、孫子の兵法の教えに従った方法なのかもしれません・・・・?
孫子の兵法のなかに、「戦とは騙し合いである」とか「強い敵とは戦わない」など説かれた一説もあります。とにかく無理をしないで柔軟に戦うことの大切さが強調されています。
上杉謙信には押され気味の武田信玄ではありましたが、孫子の兵法を元にした戦略で、決定的な敗北は受けませんでした。上杉謙信が雪で動けない時期に領土を取り返したり、北条、今川、織田、本願寺と同盟を結び、対抗しました。
そのおかげで、上杉謙信から領土を侵略されることもなく、武田家の領地を守ることができたのです\(^○^)/
ひとこと
信玄が亡くなった後、跡を継いだ武田勝頼は、信玄とは逆に無理な戦ばかりしていました。孫子の兵法にも逆らうような戦い方です。
信玄と勝頼の領国経営のやり方を比較すると、いかに孫子の兵法の教えを守ることの大切さがわかります(●^□^●)