織田信長は、宣伝マンだった!

戦国時代に広告代理店はありませんが、戦国大名は誰でも宣伝マンのような仕事に熱心でした。

ある意味、兵の数よりも重要だったのです。

兵の数が少なくても、宣伝(情報戦)が上手ければ、兵をより多く集めることができ、戦に勝利できます。

逆に、宣伝が下手だと、兵が多くても裏切ったり、逃亡したりします。

とくに接戦の場合、宣伝力の差で戦の勝敗を決めることもあったのです。

織田信長は、この宣伝マンとしての能力も、他の戦国大名を圧倒していました。

民衆の口コミを最大限に利用した信長

戦国時代は、現代のようにテレビや新聞、インターネットもありません。宣伝媒体は、人間の口から口に伝えられる口コミでした。

この口コミを最大限に利用する仕組みを、信長は作りました。

つまり、民衆を味方につけ、信長に有利な口コミが起こる仕組みをつくったのです。

ちょっとAmazonのレビューに似ているかもしれません。レビューが商品の売れ行きを大きく左右させますね。

戦国時代は、口コミが戦国大名の評価を左右させたのです。(`∇´)

民衆を味方につけた方法が、孫子兵法にも載ってない画期的なものでした。もちろん、他の戦国大名は実践するどころか、考えもしなかったでしょう。

それは、敵地の民衆から略奪を行わないことです。敵地の民衆から食料を徴収する場合、必ず金を払っていたのです。

戦国時代は、敵地の民衆から食料を略奪することが当たり前でした。それどころか、女性は辱められ、男性は奴婢にされたりしました。

だから戦がはじまると、村人は山に逃げたりします。そして、敵国の兵には、たいへん強い恨みを抱きます。

当然、敵国に関する口コミは、悪い評判しか出てきません。

信長は、これとは逆のことを行ったのです。

敵国の民衆は、信長の兵がやってきても、安心できるため、好意を抱きます。信長の兵に関する口コミも好意的になります。

その良好な口コミ媒体に信長は、「信長は、戦で勝利した!」という噂を盛んに流します。

すると、その信長の勝利の(流言)に魅かれ、多くの味方する勢力や兵が集まってくるのです。

戦をするなら誰でも勝ちそうな側に、味方したがります。

信長の噂を流す方法は、人間の心理を上手く利用した口コミ媒体宣伝といえましょう。

敗北の噂を恐れた信長

民衆を味方につけたとはいえ、ウソの噂はなるべく避けました。ウソがバレルと逆効果になるからです。

だから、不利になるような噂が流れないよう、信長は極力注意しました。

勝利した戦でも、無理な深追いは避けました。深追いして逆襲されると、勝利ではなく、引き分けか、最悪の場合、尾ひれがついて敗北の噂が流れてしまうからです。

城攻めで敵が頑強に抵抗して、勝利が見込めないとき、無理やり「講和(引く訳)」に持ち込んだこともあります。

信長包囲網(敵対勢力が包囲)のとき、四方を敵に囲まれた信長は、一箇所に長く留まると不利です。といって、下手に兵を撤退させると、「信長が敗北した!」との噂が流れる恐れがあります。あの手この手で「講和」して、敗北の噂を防いだのです。

巧みな宣伝活動によって、信長は、他の戦国大名より有利に戦をすすめることができたのでした。

ひとこと

信長の愛弟子である羽柴秀吉も、宣伝(情報戦)がメチャクチャ上手かったです。

信長の息子や他の家臣は、秀吉に遠く及びませんでした。

秀吉は宣伝が上手かったから、天下がとれたのかもしれません。

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