火薬が戦国時代の日本に影響を与えた

中国四大発明は、紙、印刷、火薬、羅針盤です。なかでも火薬が戦国時代、日本に与えた影響は大きいです。

紙や印刷、火薬、羅針盤が発明されたのは、古代中国の時代からですが、宋王朝(11世紀)になると外洋船に指南魚(羅針盤)が使われています。紙や印刷、火薬、羅針盤は、ヨーロッパにも伝わりました。

ヨーロッパでは、火薬を応用して鉄砲が発明されました。中国でも銃器に近いものが発明され、ヨーロッパで改良されたという説があります。当初は花火のようなものであり、脅しのために使われることも多かったのです。

元が日本に襲来したときも花火のような爆弾が使われました。殺傷力は強くありません。大きな爆発音で日本の武士をビックリさせる程度でした。

羅針盤が大航海時代を可能にした

やがて、ヨーロッパは大航海時代に入ります。15世紀中ごろから17世紀の中期あたりまで、主にスペインとポルトガルによって、世界中の海へ航海が行われます。

外洋航海が可能になった理由のひとつに羅針盤があります。羅針盤によって方向を誤ることなく航海ができたのです。

夜の星座と羅針盤を頼りに、世界中の海を航海することが可能になったのです。

もちろん、造船技術の発達もあります。大波が船上を襲っても、まるで樽のように密閉された甲板は海水の侵入を防ぐことができました。

そして、ユーラシア大陸の果てにある日本の種子島に、ポルトガル人を乗せた船が漂着したのは、1543年の9月ごろと言われています。

漂着した船は中国船とも南蛮船とも言われておりますが、このとき初めて日本へ鉄砲が伝わったのです。一緒に後の天麩羅になる揚げ物料理も伝わりました。

日本の鉄砲の技術は師の国を超えた!

鉄砲を試した種子島の日本人は驚きました。殺傷力と命中率がとてつもなく優れていたからです。鎧も貫通してしいまいます。射程距離も100~200メートルにも及びます。たちまち鉄砲は日本中に広まりました。

国産化にも成功して、鉄砲の性能は「鉄砲の師の国」であるポルトガルやスペインを凌駕するまでになりました。

 

戦国時代の後期の日本は、鉄砲の数、性能ともに世界一と言われております。長篠の戦で織田長信は3千丁の鉄砲で武田勝頼の軍を壊滅させましたが、これは世界初の集団銃撃戦法とされています。

キリスト教宣教師のルイス・フロイスは、

「日本の武士は世界最強である!」

と感嘆していました。

もし、ヨーロッパに日本の武士団が侵攻すれば、数ヶ月で征服してしまうだろう、とまで強調しています。

実際、文禄・慶長の役で日本が朝鮮半島を攻めたとき、救援にきた明の20万あまりの兵を撃退しています。もちろん、主力武器は鉄砲です。

慶長の役の約20数年後、日本との戦で多大な損害を受けたことが原因のひとつとなり、明は滅亡しています。最後の中国王朝・清に征服されたのです。

ひとこと

古代中国で発明された火薬が、ヨーロッパで鉄砲に応用され、日本へ伝わり、日本が明を鉄砲で攻撃して、滅亡への原因をつくった、という壮大な「火薬の歴史物語」は、とても面白いです(●^□^●)