「酒は百薬の長」と言った人は古代中国の皇帝だった!

お酒を飲む機会が多い時期ですが、適度に飲めば「酒は百薬の長」といわれています。

適量の酒はどんな良薬よりも健康に効果があると、酒をほめている言葉です。

では「酒は百薬の長」と言った人は誰でしょうか?私は、風呂と酒の好きな小原庄助さんみたいな人が言った言葉だと思っていました。

ところが、意外な人物の「四字熟語」だったのです。四字熟語では「百薬之長」です。

「百薬之長」は、古代中国の皇帝・王莽が言った言葉でした。小原庄助さんと比べると、別次元の人物です。

王莽はあまり有名でない人物ですが、漢帝国を簒奪して紀元8年 – 23年)を建国した一代限りの皇帝です。

中国と中国北方騎馬民族の歴史の転換点にいた人物です。

王莽の建国した「新」から「漢」の衰退が始まった!

王莽の簒奪によって一度は滅びた漢王朝ですが、劉秀(光武帝)によって王莽の新王朝を倒し、ふたたび漢王朝を興します。

新王朝の前までの漢王朝を前漢、新王朝の後の漢王朝を後漢といいます。後漢から衰退が始まりました。それにともない北方の騎馬民族が、じわじわと力をつけてきます。

その後、後漢は滅び、三国時代→晋→五胡十六国時代→隋→唐へと王朝が興亡します。

ここで注目なのが五胡十六国時代です。五胡とは匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の民族のことです。中国北部はこれらの騎馬民族に、領土を部分的に奪われていたのです。

そして、五胡の中の鮮卑が中国を統一します。中国史上、初めての他民族(騎馬民族)の征服による統一王朝です。王朝の名は「隋」です。

日本では推古天皇と聖徳太子が活躍していた時代ですね。

科挙(試験)による官吏登用制度と律令制度を整備した「隋王朝」

遊牧騎馬民族・鮮卑は、名前のイメージからして、いつも羊を馬で追っかけているような感じがします。なんか頭を使う仕事は苦手そうです。

中国の歴代王朝からも野蛮人扱いされていました。「鮮卑」という民族名も漢民族がつけたものです。ひどい名前をつけますね。

ところが鮮卑により建国された隋王朝は、秦や漢によって作られた律令制度を整備して、すぐれた国家運営を行いました。

世襲の官吏登用制度を廃止して、科挙(試験)による官吏登用制度を採り入れました。

後の唐王朝にも、これらの制度は引き継がれました。唐の玄宗皇帝のときに律令が最も整備され、最盛期を迎えました。

唐も鮮卑が建国した王朝です。唐の滅亡後は、漢民族と騎馬民族による統一王朝が交互に中国大陸に興ります。

唐の滅亡後、五代十国を経て、宋(漢民族)→元(モンゴル人)→明(漢民族)→清(女真族)などの統一王朝が続きました。

王莽の四字熟語「百薬之長」は、数々の中国の王朝で伝えられ、日本でも使われようになったわけです。

ひとこと

王莽は、漢から王朝を簒奪したことで、

さぞかし心労が激しかったことでしょう。

酒を飲んで、ホッとして顔を赤らめながら

「やはり酒は百薬の長だな~♪」

と家臣に洩らしている姿を想像していまいます( ●`▽´● )