歴史のワンパターンである一神教と多神教の関係??

よく「歴史は繰り返す」といいますが、これは歴史がワンパターンであるからです。

一神教と多神教の関係も、とてもワンパターンです。人類の歴史は、一神教と多神教が広まったり、融合した歴史であったといえるかもしれません。

環境が過酷な状態になると、一神教の神や人などを敬ったり、リーダーとしてたてたりします。

子供のころ、隣りのクラスのいじめっ子達がやってくると、クラス内でリーダーを決め、隣りのクラスに対抗しようとします。

それと同じです。

ヨーロッパの国々は、中国よりも狭い地域に多数の国がありました。隣りの国が攻めてくると、国内でリーダーを決め対抗します。

隣国に負けない、より強いリーダーをつくるためには、神格化してカリスマ化する必要がありました。そこから一神教が尊ばれるようになったのです。

そして、ヨーロッパ全体が一神教であるキリスト教を信仰するようになりました。

ヨーロッパに比較して東洋は、広い地域で自然環境に恵まれていました。ヨーロッパほど環境が過酷ではなかったのです。

だから一神教のような強力なリーダーを求めるような信仰は、ある時期まで必要性が低かったのです。

もともと多神教の国であった日本も、一時的に一神教が広まった時期が3回ほどありました。

いずれも過酷な状況におかれた時でした。

中国の一神教とは何か

中国の三大宗教は、儒教、仏教、道教といわれています。秦の法事国家を除いて、三大宗教が代わる代わる国教として信仰されていました。

この中国三大宗教は、神を信仰したりしないので、一神教とはいえない面もありました。

ところが、宋の時代、一神教が現れたのです。儒教から派生した朱子学です。中国は世界の中心という中華思想です。それまでの中国三大宗教と違い、たいへん求心力の強い教えでした。

西遼、金、西夏などの異民族に圧迫されていた宋は、国内の団結力を強めるため、朱子学を国教としたのでした。

しかし、ヨーロッパのように国同士の文明の戦いがおこらなかったため、朱子学のおかげで、進歩が遅れてしまいました。

日本にも一神教の時代があった

飛鳥時代、日本が大陸の唐や新羅の脅威を受けたとき、天皇が誕生しました。神話の時代から天皇は続いていいるのですが、天皇という呼称がつかわれたのが、この時代でした。

それまでは、大君とか大王とか呼ばれていたのです。天皇と呼ぶことによって権威を高め、唐や新羅に対抗しようとしたのです。

少し一神教に近いですね。

ほぼ完璧に一神教に近い時代がありました。戦国時代の浄土真宗です。宗主を生き仏として、阿弥陀仏を拝むことによって西方浄土にいけるとした教えです。

戦国の過酷な状況が、浄土真宗を一神教のような信仰に変貌させたのでした。浄土真宗の門徒は、日本のキリシタンとまでよばれています。

昭和初期は、天皇を信仰する国家神道なるものが生まれました。これは、まさしく一神教でした。

仏教を禁止する廃仏毀釈令がだされ、お寺が破壊されたのです。奈良の興福寺も、この時に壊されました。

アメリカやイギリス、中国などを敵にまわしていた日本は、一神教で国内を団結する必要があったのです。

いずれにしろ、過酷な状況におかれると、一神教が生まれる傾向にあるわけです。

ひとこと

日本人は、クリスマスはキリスト教、正月は神道、冠婚葬祭は仏教など、特定の宗教にこだわりません。

これも、日本が平和なおかげですね。