みずおのアレコレ話

健康と歴史の本の読書が好きです。仕事の合い間に小説も執筆中です。完成が楽しみです!

2017-01-01から1年間の記事一覧

iphoneのバッテリー交換が自分でもできた!

最近は、自分でiphone(アイホン)を修理する人も増えているようです。私もその一人になりました。 先週、iphoneのバッテリー交換に成功したのです! 自分で本当にできるのか心配だったのですが、なんとか無事にできました。 ヒヤヒヤしましたが、すごく嬉し…

「フーテンの寅さん」は、不思議な映画だ?

昨日、ブログ記事で「特上うな重」のことを書いたら、映画の男はつらいよ「フーテンの寅さん」を思い出しました。 主人公の寅さんの故郷である葛飾区柴又、帝釈天の門前商店街は、うなぎ料理でも有名だからです。 私も子供のころから両親につれられて、何度…

ブログの更新を、ぼちぼち再開します!?

半年ほどブログを休んでいましたが、また、少しずつ更新するつもりです。 私(みずえ)は、主に健康について記事を書いていましたが、途中で書くネタに困り、健康以外のことも書くようになりました。 実際には、私のパートナー(男性)にも書いてもらいまし…

高杉晋作は、信長と逆のことをやって成功した?

幕末の高杉晋作は、戦国時代の織田信長と逆のことを行い、成功させました。 織田信長は、当時、農民でもあった武士の農作業をやめさせ、専業武士にしました。「兵農分離政策」です。 これによって、本格的な訓練ができ、自在に操れる最強の軍ができたのです…

アマゾンの配達が過酷!サービス精神が旺盛な日本?

私もアマゾンでよく買い物をしますので、最近、ニュースでみかけるアマゾンの過酷過ぎる配送の実態が気になります。 たしかに注文して当日や翌日に商品が届くのは、たいへんありがたいです。でも、ニュースやドキュメントで配送員の方の苦労を知り、少し驚き…

島津斉彬は、西郷隆盛と大久保利通の師だった!?

西郷隆盛と大久保利通は、明治維新の元勲であり、長州の木戸孝允とともに「維新の三傑」と称される英傑です。 薩摩藩の第11代藩主である島津斉彬は、その二人の主君であり師でもあります。 島津斉彬は、あまり有名ではありませんが、頭が二つある、といわれ…

朝鮮半島では、古代から国を守るのに苦労していた?

島国である日本は、古代から他国の侵略を受けず、独立を保つことができました。四方が海なので攻められにくかったのです。 ところが隣の朝鮮半島は、大陸と陸続きです。中国にも近いです。それでも中国の王朝から、ほとんど征服されることもなく、独立を保っ…

大友宗麟と信長の宗教への考え方の違いとは?

戦国時代、大友宗麟は九州の大半を制した戦国大名です。勇猛で知られる島津氏も、ある時期まで大友氏に敵いませんでした。 大友宗麟と織田信長の共通点は、両者ともキリスト教の宣教師を大事にして、西洋の進んだ技術を積極的に取り入れたところです。 しか…

毛利輝元は、関が原の戦いで「無能」だったのか?

関が原の戦で毛利輝元は戦わず敗れました。大阪城に3万ほどの兵を温存したまま、関が原には侵攻せず、むざむざ負けたのです。 毛利輝元が3万の兵を率いて関が原へ出陣すれば、西軍が勝っていたといわれています。 そのため輝元は「無能」のレッテルが貼ら…

パソコンの故障の予防対策して少し安心した?

ブログの記事を書いているときに、突然、パソコンが故障すると嫌ですね。ほとんど完成していた記事が消えてしますこともあります。 パソコンの故障で何度も痛い目に合っている私は、できる範囲で予防を心がけています。 LANケーブルで接続したハードディスク…

安土桃山城は、日本初の博物館で信長のご神体があった!?

中国の女性皇帝・則天武后(そくてんぶこう)は、唐王朝から政権を簒奪して周王朝を建国しました。 そして、則天武后が弥勒菩薩の生まれ変わりである、という教えを国中に広めます。ずいぶんメチャクチャで支離滅裂なことをするな、と思わざるを得ません。 …

北条政子や藤原不比等など外戚が、幕府・朝廷の実権を握った!?

「かかあ天下」の家庭は円満といわれますが、皇帝や王の妻の場合は、かなり危険です。国が傾く恐れがあります。 皇帝や王、権力者の妻の親族(外戚)が実権を握ることによって、政治が腐敗し、権力闘争になることが多いからです。 古代中国では、漢帝国を建…

金正男の事件と韓国歴史ドラマは、似ているような気がする(*´д`)??

金正男(キムジョンナム)氏の殺害事件が、連日にわたって報道されています。なぜか「韓国歴史ドラマ」を彷彿(ほうふつ)させる事件です。 北朝鮮が関わった明確な証拠はないようですが、関与が疑われています。 政権を脅かしそうな兄弟を亡き者にする展開…

神通力や霊力、超能力とは何だ?

私は、幽霊やUFOを見たことはありませんが、二度ほど予知能力を自分に感じたことがあります。 自宅でゴロゴロしていたときに、突然「電話がかかってくる」と思った一秒後ぐらいに、本当に電話がかかってきたことが二回ありました。 中学生のころ、私は友人か…

藤原氏は、漁夫の利を得た?

日本が中央集権化された時期は、奈良時代の律令制と、明治維新の後に成立した明治政府が代表的です。 明治維新は、薩摩藩や長州藩、土佐藩などの官軍が江戸幕府を倒して、武士の世から近代中央集権国家を成立させました。 江戸幕府側の強い抵抗勢力を排除し…

桓武天皇の時代から、朝廷の軍が縮小した

桓武天皇は、平安時代初頭の天皇です。奈良から京都へ都を移したことでも有名です。 また、日本の天台宗の開祖である最澄を支援して、比叡山延暦寺を建立させました。なにかと話題の多い天皇ですが、あまり知られていないのが軍隊の縮小です。 朝鮮半島・白…

江戸幕府は天領400万石で実力があった?

江戸幕府の蔵入地(直轄地、あるいは天領)は、約400万石であったといわれています。 400万石という数字だけではピンときませんが、豊臣秀吉の蔵入地の石高と比較するとわかりやすいです。 豊臣政権のとき、豊臣秀吉の蔵入地は約220万石です。徳川…

頼朝は、義経に困っていた?

源義経は平家を滅亡させ、鎌倉幕府を樹立させた大功労者です。しかし、兄・源頼朝の追討軍によって命を奪われます。 義経は、一ノ谷の崖を、わずか七十騎とともの駆け下り、平家の大軍を敗走させます。その後も次々に平家軍を打ち破り、壇ノ浦で平家を滅ぼし…

桶狭間で今川義元より信長の兵が優れていた?

大河ドラマ「おんな城主 直虎」にも登場する今川義元は、桶狭間で織田信長よって討ち取られます。 劣勢の織田信長が大軍を率いた今川義元に勝ったことは、大方の予想を覆す出来事でした。 しかし、ここでひとつ疑問があります。今川義元の軍の兵数です。いろ…

信仰心が自然災害で強くなった古代の日本?

節分の豆まきは終わりましたが、バレンタインデーが近づいています。でも、日本は、なんで様々な信仰に関係するお祝い事が多いのでしょうか。 クリスマスが祝われたり、豆まきや縁日などは神社や寺院で開かれます。冠婚葬祭もキリスト教や仏教、神道などがあ…

織田信長は、歴史や学問を誰から教わったのか?

織田信長は、なんでも自分ひとりで決断して実行するというイメージがあります。参謀とか相談役が存在していたのかどうかは不明です。 これは信長は日記とか自分の考えを書物に残さなかったことが原因ですが、師とする人物がいたことは確かです。 ポルトガル…

三成は家康の誘導作戦に負けた?

戦国の末期、天下分け目の戦が関が原で勃発しました。徳川家康が引きうる東軍の勝利に終わります。負けた西軍の将である石田三成は、捕らえられ処刑されました。 小説などで当時の状況などを知るにつけ、石田三成が徳川家康に誘いこまれて負けた、という感じ…

チンギス・ハーンはアメとムチの使い方が上手かった!?

チンギス・ハーンは、モンゴル帝国の基礎を築いた人物です。とにかく獰猛な戦闘集団を率いたというイメージがあります。 機動力に優れた騎馬軍団を縦横に駆使して、多くの敵国の領土を奪いました。また、膨大な物量作戦により、いくつもの城や都市を壊滅させ…

織田信長の性格は、民衆にはやさしかった!

比叡山延暦寺の焼き討ちで3千人あまりの僧俗を殺戮して、本願寺一向一揆に対しては10万に近い門徒の命を、信長は奪っています。 家臣に対する処罰も苛烈きわまりないものでした。 いつしか「第六天の魔王」と信長は、内からも外からもよばれ、恐れられるよう…

火薬が戦国時代の日本に影響を与えた

中国四大発明は、紙、印刷、火薬、羅針盤です。なかでも火薬が戦国時代、日本に与えた影響は大きいです。 紙や印刷、火薬、羅針盤が発明されたのは、古代中国の時代からですが、宋王朝(11世紀)になると外洋船に指南魚(羅針盤)が使われています。紙や印刷…

中古車の買取り査定で困らないコツとは!?

以前、自動車を運転する機会がなくなり、中古車店にマイカーを買取ってもらったことがありました。10万円ほどで売れたので満足していたのですが、しばらくして、少し後悔しました。 友人に車を売ったことを話したら、一社だけで査定してもらうと、安く買取ら…

鑑真はメチャクチャ日本の仏教に影響を与えた?

奈良時代、当時の仏教界では、勝手に僧になる者が多く、朝廷は手を焼いていました。 当時、律令制度の過酷な税負担に耐えられず、与えられた口分田から逃げ、勝手に僧(私度僧)になる農民が後を絶たなかったのです。僧になれば税の負担がなくなるからです。…

経済成長を目指していた織田信長!?

戦国時代は、文字どおり戦の多い時代でした。織田信長も戦ばかりしていました。でも、好きで戦をやっていたわけではありません。 戦とは所詮、政治の一部であり、国家運営の一部である・・・・と信長は考えていたのです。 その証拠に、信長は「天下布武」の…

ブログのタイトルで同じキーワードを何回も左端に配置するのはNG!

私は、ブログを始めてまだ半年ほどですが、この間、いろいろ勉強になりました。 最近、「なるほど!」と思ったのは、複数の記事タイトルの左端に、同じキーワードを配置してはいけない、ということです。 同じキーワードを4記事のタイトルの左端に配置した …

中国の文明が西洋に遅れた理由がグーグルマップでわかった?

中国は、古代から清王朝末期ぐらいまで中華思想の国であり、世界でもっとも文明が優れていると自負していました。 周辺の国は、みな野蛮人が住んでいる国と見下し、とてつもなく傲慢な国だったのです。 つまり中国が中心に、世界が存在するかのように考えて…